零細山岳部の頃、私もリーダーになった時は(交代制だったので)、ラストから腕組みして下って居た(荷物の大小は状況に依る)。但し、赤岩尾根のリーダーとは重みが全く異なるので、唯の腕組みした若造だったのが情無いのです。
夏で有る。剣に登って剣御前小舎に泊まり、翌日雄山を越えて一ノ越へ下り、其の侭黒部湖へ下った。一昔前の事だ。
かのアルペンルートなのだから、歩かずに下れる(勿論、駅迄は下る必要が有る)が、お盆だったので混雑が嫌で、久し振りに歩いて下ったのだ。
前にも書いた(閑話に)けど、三昔前にも黒部湖へ下って居る。チョロかった覚えが有るのだ。
二十年経つとこう変わる、と言う見本で有った。チョロいって、何処が?剣御前小舎からやって来たとのハンデは有るにしろ、こんなに下ったっけ?と自問自答しつつ下ったので、仕舞いには嫌になって来た。
もう下らない、乗り物を利用する。膝が笑う様な下りでは無いのだが、横をロープウエイやら何やらが通って居ると思うと、せっせと下って居るのが馬鹿らしく思えるのだ。
路線バスに追い抜かれ乍ら、道を歩いて居ると思いなさい。それも、大きい荷物を背負ってだ。文句無く馬鹿で有る。
八ヶ岳の権現山を下ると、編笠山との鞍部に青年小屋が有る。此れは秋の初め。夏沢峠から縦走して来て、青年小屋に泊まった。二昔半前。
のんびりした、良い小屋だったとの記憶が有る。さて翌朝、お蔭様で吹き降りで有る。やったー、万歳……。青年小屋で暮らす訳にもいかないので出発したが、小屋の主人が心配してくれた。風が強いので気を付けるように、下るに従い風は無くなる、と。
登る時は、風に良い様に揺す振られた。雨は小雨なのだが、風の為威力を増して、ビシビシと当る。眼も開けて居られない騒ぎだ。
小屋の主人の言う通りに、編笠山を越えて下るにつれ風は収まって、同時に雨も上がって行った。編笠山の向こうからが雨なのだろう。現に、八ヶ岳は黒い雲に覆われて姿を表さない。
さて、此処からが本番の下りなのだ。ご承知の通り、八ヶ岳は長い裾野を引いて居る。其の裾野をダラダラと下らねばならないのだ。ご苦労な話だが、仕方無い。目的地は小淵沢駅、嫌でもおうでも歩くしか無いのだ。
と、力む程のものじゃ無いんだけど、三千メートル近くの縦走から其の侭JR(当時の国鉄)の駅へ歩くのは、私の知る限りは此のルート(詰まり編笠山から小淵沢)のみなので、力が入っちまったぜ。
確かに長い。きつくは無いが長い。遠くに小淵沢らしきものが見えるが一向に近づかない。スケールが大きいのだ。其れは其れで本当に嫌になるもので、何時になったら着くんだよ!と思って仕舞う俗人の私。救いは雨が上がった位だ。
(下りは辛いよ その四へ続く)
2011年8月11日木曜日
下りは辛いよ その三
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