2009年3月10日火曜日

柄でも無い事 その一

店 008

 

 前の仕事は出張が多く、主に西に毎週の様に出掛けていた。名古屋の丸栄で何気無く陶器売り場を覗いたら、黄瀬戸のぐい飲みが手招きしており、其処から離れられなくなって、(あたしに取ってはだが)高価な其のぐい飲みを買ってしまった。其れが始まりで、焼き物の話です。
 其の前から陶器に興味は持ち始めていたのだが、本で見るか地方の店か美術館で見るだけで、自分で持つ積もりは無かった。好きなのは志野、備前で、黄瀬戸は何かなあ、と其の良さが分からなかったのだが、それが丸栄の出会いで変わったのだ。
 幸いで有る、西日本は焼き物の宝庫、瀬戸、多治見、常滑、京都、三重、金沢、越前、出石、丹波、布志名、備前、砥部、大谷、萩、唐津、有田、薩摩、小代、と近くに行った時は足を伸ばし、現地で焼き物を漁る事が出来るので、ラッキー此の上無し。
 何にでも目を配っていたら限が無いので徳利とぐい飲みに絞り(酒飲みなので)、一寸とコーヒーカップも視界に入れる。
 作者には拘らない、と言えば格好が良いが、正確には拘れない(高価なので)、自分が気に入った物が良い物なのだ。併しですよ、世の中は巧く出来ていると思ったのは、此れは良いと思える物はまず高価。とほほほ……。彼方此方で結構買い込んで無造作に並べ、普段使いしている。
 前の家では玄関に徳利を十ヶ以上並べ、ガチャガチャと装飾とは思えない有様。しかも場所が場所故、人や荷物が触れて三つ程が落下して死んだ。何、焼き物は割れるが故に果かない美が有るのだ、と強がっては見るが矢張り悲しい。今の家では五つだけ飾って有る。
 使う為に買ったのだから使うので、箱は捨てる。箱書きなんぞはどうでも良い。今は無名でも将来有名になりそうな作者も居るが、誰が焼こうが美味い酒が飲めれば其れで必要充分なので、満足で有る。
 白状いたしやす。実は特に気に入った物は梱包して段ボールに詰めて有る。地震で壊さない為で、思い切り良い振りをしても所詮は凡人、何とも見っとも無い振る舞い、一寸と恥ずかしいです……。
 酒やコーヒーは嗜好品なので、味が気分に左右される部分が大きい。気に入った器を使う事で味も良くなる。良い店が器に凝るのは当然なのだ。
 偉そうにのたまいました。実際は、酒は飲めれば幸せというあたしなのでガラスのコップでグイグイやっていて、ぐい飲みの出番は滅多に無いのです。いや、どうも。
 でも好きな酒器に囲まれているだけで、心豊かに飲めるのは幸せです。
 酒好きの貴方、もし酒器が無ければ安い物で良いので、気に入った物を探して見ては?一つの徳利、一つのぐい飲みから新しい世界が始まるかも、知れません。(え、皆さんとっくにやってるって?)

0 件のコメント: