2009年3月20日金曜日

四つ目の峰は? その三

FH000123

 

 本間ノ頭に突き上げる尾根を登った時の事。秋だった、所々に赤い紅葉(変な表現でしょうが、丹沢は黄葉が多いのだ)が印象的で、文字通りの静かな秋の山歩き、贅沢三昧を味わいました。あ、くどいだろうけど、馴れない方は行っては駄目ですよ!馴れた人には気持ちの良い尾根だ。ブナや楢やクヌギの疎林が続く。登り一方だが、ボサに飛び込む事は、そうは無いのだ。
 処で、前にも触れたが、山が死ねば海が死ぬ。もう植林は止められないのだろうか?手入れする人手にも困っているというのに。東日本の国土を造っているのは落葉樹林帯なのだ。それは、縄文時代から決まっている事なのだ。因みに、縄文時代の人口比は、落葉樹林帯の東日本を二十五とすると、常緑樹林帯の西日本は一、恐るべし落葉樹林帯の威力!豊富な木の実、豊かな水、様々な生き物。春の丹沢を歩いても(植林帯じゃないですよ)枯葉を踏みながら歩く。その枯葉はやがて消える。土に変わるのだ。針葉樹じゃそうはいかない。土の再生産が出来ない。だから土が痩せる。茸も生えない。動物も生きられない。(人間も動物なんですぞ)
 東北のどこかでは、漁師達がお金を出し合って、ブナや楢やクヌギを植林していると聞いた。さもないと魚が姿を消すそうだ。まあ、私にはどうする事もできないんだけど、ブナや楢やクヌギ(ブナ林帯という)を減らすどころか、増やす方向で考えて頂きたいのです。(誰が?私以外の誰かだ!)
 御殿森ノ頭付近に、唐松が有る。標高の低い所なので、植えたのだろうか。(えーん、ブナを植えてよ)別の秋の日、さらさらと唐松の葉が散り落ちる下を歩いた。深山を歩く思いであったが(前記と矛盾してる?うーん、そう……)、バス停はじきなんですよ、そして飲み屋も。
 お馴染みのYと下っていると、初老の男性が佇んでいた。
私「どうしました?」
男性「鹿がいてさ」
 成る程大きな鹿が登山道を塞いでいる。
私「どかしましょう」
男性「大丈夫かい」
 ほいほい、と鹿をどかせたが、其の男性がチャキチャキの江戸弁だったのだ。歯切れが良いというが、全く歯切れが良く、私には絶対真似出来ない。歯を閉じた侭発声するあの感じ、もう殆ど話せる人は居なくなってしまった。きっと勝海舟もそんな話し方だったのだろう、と思わされる。江戸弁は標準語では無いのですなあ。
 山本夏彦氏の文章に、都心も正月になれば車の往来が絶え、何処からともなく子供達が道路に出て来て遊ぶ。それが皆チャキチャキの江戸弁だ、というのが有ったが、それすら今や昔話だろう。江戸弁を話す人達は散り散りとなり、江戸弁は滅びるのです……。

 (四つ目の峰は? その四へ続く)

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