2010年1月11日月曜日

休題 その三十一

 

constan

 汎トルコ主義は今では流行らないが、第一次大戦の頃は盛んに語られて居たらしい。代表的な人物はトルコのエンヴェルパシャで、陸軍大臣で有った。
 突然何の話?いやー、偶には遙かユーラシア大陸中央に思いを馳せるのも、悪く無いかなと思ったもんで。
 ポスポラスの欧州側から中国国内迄、トルコ語で旅が出来るのだ。
 トルコからアゼルバイジャン、バクーでカスピ海を渡ってトルクメニスタンへ、ウズベキスタン、カザフスタン、キリギスを経て中国西部のタリム盆地、此処にもトルコ系のウイグル族が住んで居る。
 俗に言う中央アジアは、トルクスタンとも呼ばれる。トルコ人の土地との意味だ。元々はペルシャの影響が強く、ペルシャ系の住民が住んで居た所だが、トルコ族の進出に依ってトルコ化されて、現在に至って居る。
 その後もトルコ族は西進を続け、中近東を支配して居たアッパース朝の首都バクダットに入り、カリフ(イスラムの最高権力者)よりスルタンの称号を得て、実質的にイスラム世界を統合する法的権利を獲得する。
 セルジューク、オスマンの両帝国に依ってアナトリアから欧州側に迄トルコの領土が広がったのは、ご承知の通り。
 十四世紀末に中央アジアに出現したティムール帝国は、セルジューク朝を滅亡寸前迄追い詰めた。ティムール自身はチンギスハーンの子孫と称して居たが、トルコ系で有る。
 十五世紀初め、明へ進軍を開始し、明軍を破ったが、病死し帝国は分裂消滅した。
 其の後セルジューク朝は十字軍の侵略を受ける。最初はエレサレムを訪れる巡礼達だと思い、アナトリアのトルコ人は道案内迄したと言う。結果、エレサレムのトルコ人、アラブ人、ユダヤ人は虐殺されて仕舞った訳で、野蛮人のやりそうな事だ。
 野蛮人と書いたが、当時のヨーロッパ人は文字通り野蛮人で、食事は手づかみ、汚れた手は髭で拭くと言う暮らしで、セルジュークの文明に接して初めて、ナイフ、フォークを知ったのだ。
 居座って欲しい侭に暮らす十字軍を破ったのがサラディーンだが、彼はエレサレムを陥落させた時も復讐の虐殺を行わず、十字軍を帰してやって居る。ね、欧州人を野蛮人と呼ぶのは当然でしょう?
 で、何だってえと、広大な地域に広がったトルコ系民族(チュルクと総称する)は、言葉こそほぼ同じだが、環境、文化に大きな差が出来て仕舞って居て、チュルクへの帰属意識は無い様だ。
従って、汎トルコ主義は流行らないと書いたのです。
 でも、イスタンブルからウイグルへの広大なユーラシアの中心部、其処で独自の文化文明を築いて居るチュルクに、あたしは遠い憧れを抱くのです

4 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

なるほど。昔は高い文化と広大な土地をもっていたからトルコ語を喋る人たちは、とても誇り高い人たちなんですね。ペルシャ文化が世界の始まり ペルシャ語が言語の始まり、ペルシャの食べ物が世界で一番優れている、、、とトルコ語をしゃべる人たちは、いつも言っています。だからトルコ人やイラン人とは付き合いにくい、、、。
でも、チンギス ハーンも中国全土からヨーロッパまで征服して、すごい勢力をもちましたが、オスマントルコも偉大でしたね。ヨーロッパの教会も、オスマントルコの建築や芸術の影響なしには なかったのですから。
今日のイラク、アフガニスタン問題の解決には、歴史をさかのぼって考える視点が必要なのかもしれませんね。

kenzaburou さんのコメント...

そうなんですか。付き合った事が無いので知りませんでした。
尤も、つい此の間迄西方世界の中心はトルコだった訳なので、無理からぬものが有ります。
Doglover さんは、あらゆる人達と付き合いが有るのですね、凄い!の一言です。

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

オーストラリアは移民で出来ている国です。国民の4分の1は 外国生まれなのです。わたしの勤めている病棟には インド、スリランカ、東チモール、フィージー、フィリピン、タイ、ネパール、オランダ、南アフリカ、ジンバブエ、ガーナ、アイルランド、カナダ、イギリス、トルコ、イラン、エジプト、アルメニア、韓国、日本生まれの看護士がひしめいています。いま、つとめて仲良くしようとしているのは、もちろん!!!ネパール人看護婦です!!!彼女が 休暇でネパールに帰国するとき、誘ってもらいたーいーでーすー!

kenzaburou さんのコメント...

おー、流石移民の国、居ながらにして世界を知る環境ですね、しかも、同じ仕事で!
ネパールの人、会った事も無いので、想像もつかない島国野郎の私です。