2012年3月28日水曜日

柄でも無い事 その三十四


 餃子と言えば宇都宮、だと宇都宮は宣伝に努めて居るが、案外人はそうは思って居ない様だ。あの駅前の餃子の像は、地元の人にも結構不評で、馬鹿なもん造ったな(栃木弁)との声を良く聞く。
 大昔、満州仕込の餃子を知り合いの家で、
良くご馳走になった。キャベツ(白菜だったっけ?)と挽肉を、ペースト状になる迄包丁で叩き続ける。其の具を餃子の皮に一寸と塗り付けて包む。具が殆ど入って居ないのが特徴なのだが、此れが美味しいの!!
 あの手の餃子は、其の後何処でもお目に掛
かれない。独特の餃子だったのですなあ。流石満州流で有る。
 其れと正反対のたっぷり具の餃子で、其れ
は其れは美味しかったのは、意外にも浅草橋の汚いラーメン屋で、丸々と具が入っており、一皿であたしは充分と言う程ボリュームが有った。
 具は野菜中心だったので、あたしのお気に
入りになったのだろう。何せ偏食で、肉だけは駄目と言う弱点が有るので。
 反対に具は殆ど肉だけ、と言うのが北九州
の餃子だ。小倉でそうとは知らず、餃子を2皿注文した。あたしは餃子2皿が出張時代の定番だったのだ。
 其れが、肉餃子、頑張ったが2皿目にはも
う無理、吐き掛けたので、止めました。
 我が家の餃子は平凡な奴で、極(ごく)た
まに妻が造るが、矢張り手造りは美味しい。冷凍と比べるも愚かで有る。皆さん語存知の事です。
 あたしの誕生日には(子供の頃)、母が手造
りの餃子を造ってくれた。今と違って餃子の皮なぞ無い。朝からうどん粉を練って、型で切り取って皮を造る。其れから、餃子作成に入るのだ。母の愛は、海より深いと、今になって分かる大田分(おおたわけ)。。。。。。
 柄でも無く、餃子を語ったりしました。

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