2010年6月19日土曜日

又もや好事家は行く その一

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 夜道はなかなか良いもので、私は割りと好きだ。雨で無い限り、休憩の時に町の明かりを楽しめる。月が明るければ、ライトもいらない。
 多く通ったのは、蓑毛から札掛へのコースだが、此れは林道なので何の問題も無い。淡々と夜道を行くのが、何とも楽しい。
 大倉尾根もよく登った。此れまた確りしたコースなので、同じく何の問題も無い。やがて尊仏山荘の灯りが見えて来る喜びは、寒ければ寒い程大きいのだ。熱いお茶が待って居るんだもんねー、ルンルン。
 寒くなくとも喜びは大きいので、夜道を登って居て、ポツンと小屋の灯が見えたら、誰でも嬉しいのだ。でも、其れからが長いんですよねー。登っても登っても着かないの。何せ真っ暗な中だから、遠くの灯(大昔はランプの灯)が近くに感じるのだ。
 昔々々々、尊仏山荘は夜中に登って来る客で、一晩中ざわめいて居たものだ。今なら、こんな時間に何だ、と叱られるかも知れない。時代ですなあ。
 夜道の話を始めた癖に、他には麓の小屋へ向かった数回の経験しか無い。そうか、夜道は札掛と塔が主だったんだ。従って話は変わります。
 え、好い加減だって?もう分かっても良い頃でしょう、私は立派に好い加減なの!其れも半端じゃ無く、とことん好い加減な奴なのだ、えっへん!
 既述の通り、尾根に取り付く時は、彼方此方見て周り、此処いらでよかんべえ、と思われる箇所を探す。其の行為を、「藪を嗅ぐ」と私は言って居る。大変文学的で有る(違うって?違わないもんねー)。
 物好きの章の続きになってしまうが、其の結果Yが常に被害者なのは、お気の毒乍らも運命、或いは定め。はっはっは、偉く酷い運命定めだなあ♪
 私が藪を嗅ぎまわって居るのを。Yは暗澹たる思いで見て居る(多分、いや絶対!)。出来たら私の気が変わって、ちゃんとした普通のルートを取ろう、と言い出す様に祈って居るのかも知れない。其の哀れな祈りが天に通じた事は、今の今迄唯の一度も無い、はっはっはっは。
 相変わらず酷い男で有る。人の不幸を笑い飛ばして居る。何て奴と思われるだろうけど、其れで良いのだ。其の訳は、前の物好きの章の通りなのです。分からない方は、前の物好きの章を参照して下さい。
私「此処だな」
Y「……」
私「行くぞ」
 大概岩交じりの土の斜面で、疎らに立ち木と笹、或いはすず竹が生えて居る場所だ。如何にも登れそうに見える。いざ取り付くと、簡単には登れない。

(又もや好事家は行く その二へ続く)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

けん様おねげぇですぅ

 人を虐めたり、人の不幸を笑ったりするのは、お止め下さいませ。Yさんが可哀そうでなりません。最近の言葉では「イジル」といいます。
 でもね! 「人の不幸は蜜の味」ってのは悪魔の言葉ですから・・・
 まぁ悪戯っ子も同じですが何うして人間って、こんなにも悪魔に近いのでしょうや?

 「夜道はなかなか良いもので、私は割りと好きだ。雨で無い限り、休憩の時に町の明かりを楽しめる」・・・ 信じませんそんなことは。山には鬼もいるし熊もいる。でも今度、ナイトセーリングにお連れします。板木一枚下は・・・怖いですよ。でも遠くの花火が、まるで線香花火みたいに見えるのです。空は満点の星、天の川も180度見えるのです。そして左でティラーを握り右手にはジョッキのビール。酔っぱらい艘船もセールボートは臨検しにくいのでオールOK!!!
 ですので「月が明るければ、ライトもいらない」・・・ これには賛成。因みにバッテリーは二台積んでますが切れても帰れます。風次第ですがね!!!

kenzaburou さんのコメント...

はっはっは、ご心配をお掛け致しました。
決してYを苛めたり笑ったりしては居ないのですよ。本人も充分承知で一緒に山に行くのですから。