2016年7月28日木曜日

クソ面倒な話 その八十二




 「殺すぐらいなら殺されよう 憲法9条改悪阻止 総がかり行動委員会」というポスター(?)がネットに流れた。
 じきに削除され、委員会も実在が怪しいらしい。9条墨守派の足を引っ張る為にでっち上げたものだと、あたしは見て居る。
 ポスターはインチキだったとしても、同様の発言をする人間が結構居る。それもメディアでだ。昔は「敵が来たら手を上げる」だった、「殺されよう」にまでエスカレートしたって事かな。
 簡単な考察を試みる。戦争が前提なのだろうが、戦争ならこう、其の外の異常時ならこう、と人間はとっさの行動を分ける事はしない。出来ない、と言うべきかな。従って自らの平和が破れたら、が前提となる。
 表題の様な発言をなすには、強固たる信念(宗教的信念以外には考えにくい)を持ち、自分はおろか家族の命をも進んで差し出す、筋金入りの人間でなければならない。
 それは夫々の信念だから、良し悪しを云々すべき事柄では無い。あたしにゃあ真似出来ないなあ、と思うのみで有る。
 問題なのはそれだけの信念覚悟も無く放言する輩(やから)で有る。
 それは唯、こうだと良いな、と現実と無関係な世界を描いて居る人間達に、イメージとして訴えるだけのフレーズなのだが、残念な事に夢想的な人間は少なくない。
 リアルに考えれば、家に侵入者が有って、家族が命の危険んに晒された時に、何の抵抗も試みずに、一人ずつ殺されて居るのを傍観する、という宣言なのだ。
 あたしはこの手の人間は全く信用しない。その様に行動したらその行為によって、行動が違えばその欺瞞によってだ。
 此れは戦争の話だと強弁するならば、国を守る気が無く、自分だけは助かりたい卑怯者だと断定出来る。唾棄すべき奴だと。

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