2016年7月20日水曜日

嗚呼、中高年よ その一




 春日俊吉氏をご存じの方は極少ないだろう。山岳遭難の本を主に書いた奇特な方で有る。唯でさえ気の滅入る話を克明に調べて書き綴って居た。それを洒落た文章で、冗談も交えながら書いた。
 特に若者と女性の遭難に哀れを感じておいでだった。「黒いケルン」「山岳遭難記 六巻」「山に逝ける人々 三巻」が代表作(?)だろうか。「山岳遭難記」はIに貸したら行方不明になって仕舞った。良く或る話だ。
 「山に逝ける人々」の第一巻に「在る時期の表丹沢遭難日記」と言う章が有る。日東タイヤ山岳部が苦労して纏めた遭難事例に秦野警察署の記録と春日氏独自の情報を加味し、推測で補って仕上げて居る。
 昭和三十年四月から昭和三十三年十一月迄の集計だ。三年七ヶ月の期間となる。日東タイヤ山岳部によると、やや平穏な時期、だそうだ。じゃあ外の年はどうなっちゃうんだよ、と思わされるのだけどね。
 日東タイヤ山岳部報では四十二件の遭難報告だが、氏の独自捜査を加えて「山に逝ける人々」では五十件の遭難報告になって居る。
 御断りしておくが、あくまで表丹沢のみなのだ。尾根筋の遭難は二件のみ、馬鹿尾根で頑張り過ぎて具合が悪くなったのと、菩提峠付近での滑落で有る。馬鹿尾根は大過無く回復、菩提峠は四ヶ月の入院とあるので結構重症だったのだろう。
 残り四十八件は沢の事故だ。葛葉川も二件有るが、四十六件(詰まり92%)は水無川、四十八瀬川の二本なのである! 中川流域の剣呑な沢や、早戸川流域、神ノ川流域、東中央西の尾根筋は含まれていない。
 従って、水無川、四十八瀬川たって圧倒的に件数の多い勘七沢の遭難報告、と言い換えても宜しい程なのだ。

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