2019年11月3日日曜日

休題 その二百六十六



 何せ山本五十六を愚将と罵っているのだから、何だこの馬鹿は、と怒る人もいるかも知れない。しかしどう考えても、あたしには愚将としか思えないので仕方ないですなあ。
 米太平洋艦隊の増強前につけ込んで戦火を拡大したのだが、明らかにやり過ぎだ。極めて貧弱な補給線を目一杯伸ばし切った先がソロモン諸島だ。おまけにニューギニアに迄手を出した。オーストラリアも占領したいと言い出した。気は確かなのか? 流石にこれは却下されたが、言い出す神経が分からない。
 身近な防衛線を固めて敵を待つのがセオリーだろがよ。どんどん戦線を伸ばすばかりで、固める事をしなかったから、反攻が始まったらどこも準備不足で敵の上陸を迎える事になって、無残な戦いを兵士は戦わされる。本当にプロの軍人なのかと疑う。
 本来なら、練りに練ったフイリッピン沖での会戦になっただろう。それに勝ち目が薄い(無いと見て居たらしい)ので真珠湾を奇襲したのだが、それが大間違いとは前回書いた。勝ち目が薄くたって、他に方法はないのだから全力で計画を遂行した方が、未だ増しな戦いができたと思う。ド素人が何を言うか、の世界なのは承知だが、そうとしか思えない。
 山本五十六を糾弾するつもりで書いているのではない。陸軍は悪者、海軍はまあ良い奴だった、と言う風潮は昔から有った。そして今でもそれを感じる。本当けえ?
 東京裁判と称する裁判でも何でも無いインチキで、平和に対する罪と称するA級戦犯に海軍からは永野、嶋田の二氏しか起訴されなかった。陸軍は十数人が起訴されて六人が死刑に処せられている。海軍は連合軍から見て平和に対する罪が軽かった訳だ。
 と言うより、北へしか向いていなかった陸軍を南方に引き摺り出してアメリカに戦争を仕掛けさせ、海軍自体はロクに働かずに連合国に貢献した、と言う事ではないかと疑うのだ。

4 件のコメント:

悪戯っ子 さんのコメント...

戦後ただインドだけは日本に味方した。大東亜共栄圏に賛同したか、イギリスが大嫌いだったか陸軍がたどり着けなかったかからかは分からないですが、山本五十六はイギリスの様に海洋国日本が出来ると信じたかな思います。

閑話休題、テレビで観ました。レスキューも努めた山男の話
宮川八郎
穂高岳山荘番人
53歳で逝く
ムービーとカメラを駆使した
2009年9月北海道でシーカヤックの練習中に死んだ
和子さんとは穂高岳山荘で知り合い、家族は六人と一匹の犬となった。
カワサキのバイクも乗って居た。

kenzaburou さんのコメント...

山男がカヤックで死ぬとは、不本意だったでしょうね。
穂高山荘は止まった事はないですが、せっまーいテント場にテントを張ったです。
よくおっこちなかった、と思う程狭い岩稜のテント場でしたw

悪戯っ子 さんのコメント...

八郎さんは父親に連れていってもらった槍ヶ岳の記憶から山登りを始めたらしい。だが離婚で母親に育てられ苦しい中でも勉強ができ大学に上がるも中退して山小屋の番人になった。
神戸の一流高から大学へ。25歳で中退だからアルバイトしながらだから結構、遊んでたのかも、、、
でも番人とは何とも親不孝、、、その頃は現在、唐沢の管理人「300人以上の遭難救助をした」がいて彼の背中を見て育った。山小屋の先輩と結婚し三女に恵まれた。
当時は徒弟制度的で何も教えなかったらしい。石垣積みから小屋のメンテナンスまでするのだった。
八郎さんは救助活動もして、200人以上の救助もした。
彼のよく知る男がヒマラヤで亡くなり北海道の山女が死んだときから、なぜ山に登るのか考え初めてブログを一年休止の結果、山で死んではいけない。遭難は迷惑ではないが死んではいけない。彼の結論である。
TVでは唐沢小屋の紹介もしたのでネットで調べたら三星小屋で温泉あり、2万超/泊、、、個室とかもあるのかな?
3000mは登る自信はないが従姉妹の元パティシエの旦那が店を潰してから山小屋の調理人をしているので旨いフレンチディナーを食べに行くかなあ、、、と思う今日この頃です。

kenzaburou さんのコメント...

涸沢なら行く事は可能でしょう。
初日に6時間歩き自信がなければ横尾の小屋泊まりでOK。翌日は3時間の登りです。
涸れ沢でフレンチ、最高ですね。