黒澤明の遺作となったのは「まあだだよ」だが、映画館で観た時は、ふーん位の印象だった。興行的にも失敗したと記憶して居る。
見直してみた。淡々とした名作で有った。音楽が2箇所しか使われて居ない。
戦後のあばら家で夫婦が季節を送るシーン此処でビヴァルディが流れる。何故か泣けて来る様な名シーンで有る。
そしてラストからエンドチェックへ。これも同じ曲で有る。
何たって此のラストが凄かった。若い時(比現在)には全く気付かなかった。若いと言う字は馬鹿いと言う字に似てるのー♪
主人公内田百間(本当は門構えに月だが変換不能)がパーティで倒れ、内田家に泊り込んだ幹事四人が一杯やり始める。
「先生はどんな夢を見るんだろう」
「夢も金無垢さ」
説明が必要だろう。内田百間が教師を辞める日に生徒の一人が言う。
「父は先生の事を、まじりっけ無しの金無垢だと言って居ます」
其の生徒の父が幹事の一人なのだ。
其の夢なのだが、浴衣姿の子供の頃の内田百間がかくれんぼをして居る。何度も「まあだだよ」と答え乍ら、隠れる場所を探す。
「もういいよ」で終ると思いきや、其の子供は突然隠れるのを止め、空を見上げる。そしてビヴァルディで有る。
心臓を掴まれた様な衝撃を受けた。
成る程、並じゃ無いとはこういう事かと、しみじみ思わざるを得ない。
黒澤明はベタに音楽が流れるのを嫌ったと言う。此処、と言う時のみに流す。その代り鼓や擬音は多用した様だ。
流石、世界の黒沢の遺作に相応しい作品でした。あたしが全く分からなかっただけなのです。
2011年12月16日金曜日
休題 その八十
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2 件のコメント:
文を読んでいただけで、映画を見たことがないのですが、子供が突然 空を見上げるところでヴィバルディの四季 春の第3楽章が鳴リ出すシーンが 思い浮かびました。素晴らしいシーン、良い映画ですね。人の心に感動を呼び覚ます技に長けている ということでしょうか。クロサワは やっぱりに天才です。
全くその通りです。
世界の黒沢と言われるだけの訳が有るのですねえ。
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