処が、カットしようにも車両通禁止の道が偉く多い。環境上はとても良い事で大賛成(不便だけど)なんだけど、車両通行禁止の動機が悪い。
最初に謝っておきます。以下の二例は聞いた事で、調べた訳ではありません。不精な私なので、さも有りなんと思った事を覚えていたで、事実かどうかは保証しかねます。どなたかが調べて、私の間違いを指摘されれば、素直に認めます。
さて、昔々の事、水ノ木の林だった思うが、バイクの青年が事故って亡くなった。遺族の方が、不備な道を走らせたといって訴訟を起こした。
確かに不備な道だ、林道だからね。でも本人は承知で入ったのじゃないのかな。もし知らずに入ったなら、ヤバイ道だ、舗装も無いし、と思うでしょう、普通。普通でなきゃあ話は終わり。猫を電子レンジで乾かして死なせた奴がアメリカで勝訴したが、生き物を入れてはいけないという一文がなかった為で、石を沢山呑んだら死にます、そんな事は知っておくべきだ。では何か、万が一説明書に書いてなければ、包丁で指を切っても訴訟を起こすのだろうか。
流石に飛び過ぎた。私は時々極端に走る性癖があるので、自重はしてる積もりなんだが、ここぞってえ時に出てしまうのは、誤魔化し切れないのだ。情け無くは思うけれど、本当の自分なんだから、仕方無いのです。
バイクの青年に話を戻す。
で、そんな状況では極度に注意するか、或いは引き返すかだ。その見極めもつかなけりゃ、バイクの免許を与えた陸運局が悪いのだ。(私の本心ではない。陸運局ではなく本人が悪い。其処まではっきり言うべきではなかったって?……確かにそうです)
その青年は運が悪かったか、腕が悪かったかのどちらかだったのだろう。整備が万全の国道でも、事故は無くならないのだ。ご遺族の残念な気持ちは分かるけど、誰かのせいでは決っして無いのだ……。はっきり言えば、本人のせいだ(心遣いが足らぬ文章なれど、第三者の私としては、他に言い様が無い)。
お陰で通行禁止だらけになって、木々は喜んでいる事だろう。実は私も、不自由だと言いながらも、良い事だとは思う様にして居る。
これも昔々、奥多摩(だったと思う)で、桟道で怪我した人が、近くの山小屋を訴えたとか聞いた事がある。山小屋が山道に責任を持つの?ディズニーランドじゃ無いんだ!じゃあ何か、山小屋が周りに全部責任持てって言うのか?面白い発想だ。
又もや、強弁し過ぎでした。(ペコリ)
山(林道も)は自己責任の世界だと、私は認識している。天候が悪化しようと、雪崩に埋められようと、岩から滑落しようと、落石(自然落石です)に当たろうと、薮の中で野垂れ死のうと、渡渉に失敗して流されようと、雷に打たれようと、誰のせいでもない。飽くまで己の力が及ばなかったのか、或いは運が悪かったのだ。外には勿論何も無いとしか思えない。他に何があるんだろう?CIAの陰謀かな?そんな映画は飽き飽きだ!
それが分からない者には、決して山に近づいて貰いたくない、と私は思っている。それでも近づいて来るならば、飽くまで自己責任でお願いします。
一寸と待って(プレイバック)。自己責任って言葉はマスコミに使われだしてからは、陳腐な手垢塗れの言葉になってしまった。マスコミとはあらゆる言葉の精気を奪う、もののけの神みたいな存在なのだろうか?勿論そうなんだけど。
(林道歩きは嫌だけど その五へ続く)
2 件のコメント:
はい、ごもっともです。天候悪化も なだれの下敷きになるのも、岩や雪からの滑落も、落石に当たるのも、藪で過労死も、渡渉失敗も、熱中症、脱水症も、雷に打たれて死ぬのも、みんなみんな山に入った人の責任です。ぐずぐず言わないで、山に腕や足の一本置いてでも ちゃんと帰って来てください。
>山に腕や足の一本置いてでも ちゃんと帰って来てください。
あの人は特別です。
でも、皆そうすべきだと思うけど、あっさりと死んで仕舞う人が多いので、最期迄頑張れ、家族が待ってるぞ!!と言いたい。
でも駄目な時は駄目です。実力と運とが重なったら助かるのかなあ、と思ってます。
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