2014年7月13日日曜日

死ぬほど旨かった桃の缶詰 その二




 新しい地図では(私には、で六年も前の物、一寸とも新しく無い(恥))、ユーシンから臼ヶ岳への尾根が、道と記載されている。但し踏み跡不明瞭とある。
 糞、秘密の路だったのに、大野久君が、皆ばらしてしまう。地図に従って其のルートを取った人に何か有ったら、責任取ってよね。へっへっへ、勿論悪い冗談です。
 山の事故は自己責任とは、変わらぬセオリーなのです。(相変わらずくどいですねえ、我乍ら粋じゃ無い事夥しい)
 自然は変り無く、悠久の存在だ。
嘘です。八百です。刻々と変わる。この世に変わらないものは無い!
 クオークは変わらないのだろう。もし、クオークが変化したら、或いはエネルギーに変換されたら、一瞬にして宇宙が崩壊するから、多分変わらない存在なんだろう。少なくとも、人類が人類であった短い間に、観測されてはいない。取りあえず、おめでとう!
 それは誰も、分かりようも無い事だと思って、私だけでなく、六十数億の人類皆が、気にもせず呑気に(クオーク崩壊に関して)日々暮らしていられます。若し気にする人がいたとしたら、それをこそ、杞憂と言うべきなのでしょう。
 話は何だっけ?檜洞丸だった。
 臼ヶ岳南面は、この間迄荒々しい褐色の山肌を曝していた。関東大震災の余震で、崩壊した痕である(と何かで読んだ)。臼ヶ岳と言えばあの茶色の崩壊を思い浮かべる人も多い事だろう(但し古い人)。
 昭和三十六年現代登山全集、富士丹沢三ツ峠、ハードカバーのカバー付の写真は臼ヶ岳南面のアップだが、雪を被っているとは言え、明らかに崩壊した無残な姿である。中々良い写真では有る。
 それが今では、何と緑に変わっている。笹が生えて来た、ツタが絡み始めた、とは通る時に見て思ってはいたが、遠望して緑になっていたとは、全く気づかなかった。
 (死ぬほど旨かった桃の缶詰 その三へ続く)

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...


大正12年の関東大震災では相模湾海底の大陥没と大隆起が起きた、とは聞いていましたが、丹沢の臼ヶ岳が崩れたのですか!!! そんな崩壊したあとが、崩れたまま今まで残っているなんて! 地震で山がくずれるのですねー!

kenzaburou さんのコメント...

どうやら一斉に崩れた様です。
臼ヶ岳は特に激しく崩壊した訳です。
広大な丹沢が、土煙に包まれた、と有りますから。