2009年8月1日土曜日

閑話番外 その七

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 書策小屋の親父、渋谷書策氏が亡くなりました。享年九十三歳、八十八歳直前迄小屋に居たのですが、大往生と思います。
 書策氏については此の本文でも触れて居るのですが、去年の十二月だし、当時は今より誰も来なかったので、再度文章を載せて哀悼の意とさせて頂きます。

 鎖場から登ると書策(かいさくと読む)小屋が有る。此処では立ち止まらねばならない訳が個人的に有る。今は休業中となっているが、再開されるのだろうか?
 親父は美味いコーヒーを入れてくれた。書策新道も一人で切り開いた。水道水を6リットル程担ぎ上げたら、「 何だ、水道水だって?そこに入れといてくれ」と、ポリバケツを指した。洗い水にする訳だ。畜生め、拘りが有る親父だった。老いてしまってからは、コーヒーも入れられなくなった。
 妻とセドノ沢を詰めた時だ。ルートを取り違え、変なザレ尾根とボサに散々痛めつけられた末、登山道にやっとの思いで這い上った。妻の草鞋は奮闘努力の結果、開き切って藁がはみ出し放題の姿であった。しかも泥まみれで有る。録でもない亭主を持つとそんな目に会うのですぞ。
 妻と、泥まみれで書策小屋に入り、ビールと言ったら無いと言う。じゃあコーヒーと言うと、ポットとネスカフェーの大瓶を出した。な、何だこりゃ!前は豆を挽いて薫り高いコーヒーを出してくれたじゃないかよ。しかも値段は同じだ。これじゃ潰れるぞ親父、しっかりしろ!
 壁には自分の新聞記事が一杯張ってあり、得意げに説明するのだが、コーヒーをどうしてくれるんだ……。
 それからは、通るたびに気にはなった。営業はしてるようだが、客はいなかった。売る物が無いのだろうから、当然だ。
 数年たって、Yと通りかかった。ハイカーが小屋の周りに休んでいる。小屋の戸は半開きで、親父、生きてはいるなと、ホッとした。すると、離れた便所から杖をついてよろよろと親父がやって来た。あ、親父だ。Yに言った。「 悪いが、親父の姿を見てしまった限りは、寄るぞ」
 例によってビールは無い。コーヒーはネスカフェー。しかも湿気って、半分固まっている……。
親父「うどんしか食べられないんだ」
 親父は歯が一本しか無い。
親父「昨日行水していたら、急に雨が降って、いや、息が止まるかと思う程冷たかった」
Y「それは辛かったでしょう」
 もう山を降りろよ親父、死ぬぞ。
私「荷揚げはどうしてるの?」
親父「皆がやってくれてね」
私・Y「……」
 もはや営業小屋ではない。自分の記事の説明も無かった……。
 外の小屋で聞いた。書策の親父はいくら説得しても山を降りず、ここで死ぬと言い張る、と。首尾良く死ねただろうか。多分多くの人を煩わして、降りた事だろう(最近分かったが、県警のヘリが出て無理やり下ろしたとの事)。苦労された方々は、本当にご苦労様でした。その方々には申し訳ないけど、親父は本望だったろうと、私は勝手に思います。

 ご冥福をお祈り申し上げます。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

そうですか、亡くなられましたか。よくご存じだった方々、そしてKENZABUROUさまにも、心からご愁傷申し上げます。初めてこの山小屋の親爺のお話を読んだときから ずっと 親爺さんのこと、気になっていました。ひきたての本物のコーヒーを入れてくれるような オシャレな男だったのに、、、年を取り ヘリで無理やり山から下ろされて、悲しかったでしょう。世俗的な意味での地位、財産も業績もない こんな親爺が 本当に 本物の人間として立派な人なのだと思います。喪失感でなんか、、、泣けてきます。

kenzaburou さんのコメント...

ご丁寧に有り難う御座います。

閑話にも記述した通り、本人も本望だっただろうと想像します。