2009年7月30日木曜日

閑話 その二十六

店 035

 

 本文で、三昔半前の鹿島槍から槍ヶ岳への初冬の縦走のエピソードを書いたが、遣り遂げたと誤解されるといけないので、其の顛末をご報告申し上げましょう。
 結論から言うと、種池から下山して終わりだったので、何それ?と思われるのは尤もなんだけど、こちとら山の様に残った食料燃料を、ウンウン言って持ち帰る馬鹿さ加減はノーベル賞程では無いが町内会で表彰されるに値(あたい)するで有ろう見っとも無さ。
 全部、あたしの所為なので、Iよ、悪かったね、許してチョーよ。(不真面目だから許せない?ふん、読んでもない癖によ!)
 述べましょう。歩幅10Cmでやっと辿り着いた冷の幕営地は、当然ながら雪に覆われて居るので雪を踏み固めなければテントは張れないので、あたしは踏んだけどIが見れば唯ノロノロ動いて居るだけだったらしい。
I「大塚、大丈夫か?」
私「だいりょうぶら……(口が回らない)」
I「(間)おい、小屋に泊まるぞ」
 流石だねIよ、良くぞ見抜いたぜ、あたしゃあ完全に限界だった。
 で、冷の小屋に泊まる事になったのだが、当時も今と変わり無く十一月末の連休迄小屋は開いて居たので、あたしゃ凄く助かったと思ったです。だって、テントを張る事さえ出来ない状況だったんで、ボ~っとした頭で良いんじゃないと思っただけで、結果オーライで、Iに本当に感謝します。
 此の夜が小屋番最後の日(翌朝下山)、泊り客はあたし等だけ。Iは確りしててハイライトを幾つか差し出し、小屋番達は大喜びで待遇は全く変わったらしいけど、あたしゃあボ~っとしてるだけだから、何も分らん仁。
 詰まり、あたしゃ思考力体力共にゼロ状態なので、ただただ飯を(やっと)食って寝るのみで、はいお仕舞いなのだが、リーダーのIはそうは行かない。あたしの姿を見て縦走打ち切りを決断したのだろうが、相当迷った筈だ。責任者は孤独で有る。
 翌日も快晴、爺ヶ岳を超えて種池に着いたが現金なもので、もう降りるとなると惜しくなって、もう一泊しない?なぞと口走る浅ましさ。尤もそれ程初冬の山々が美しかったのだ。
 縦走を打ち切ったのは大正解だと再度知ったのは、道に降りてから扇沢のバス停への緩い登り道でゼーゼー喘いで、駄目だこりゃ、本当に俺はガタガタなんだなあ、と痛感して初めてガックリとし、悲しかったのです。
 バスはガラガラで、白い恋人達が車内に流れ、振り返ると白銀の山々、思わず滲んだ涙に山々も霞んだのでした。

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