2009年7月12日日曜日

閑話 その二十四

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 本文の鍋割山の章で雨山山稜に触れたので、補足をしよう。
 初めて歩いたのはあたしが三十歳位だったから、三昔前。友人五人と夕方遅く寄(やどりぎ)でバスを降り、あたしが勝手に鉄砲道と呼ぶ一直線の道を稲郷のみろく山荘へ向かった。日はとっぷりと暮れ、煌々たる月明かり、遥かにポツンと灯が見える。良い情景ですなあ、今でも克明に思い出せる。其処が今夜の宿だ。
 因みに此の友人五人の一人がお馴染みのYで、哀れにも今に至る迄山を歩き続ける事になろうとは、当時のYには知る由も無い。
 当時のみろく山荘は、校舎を転用した建物だった様だ(分校々舎なので小さい)。
 翌日は雨。うーん、目的が雨山山稜と廃道となった秦野峠からの路を下る事だったので、一同は難色を示す。当然で有る。あたしは妥協案として、雨山峠へは登り、鍋割峠迄歩いて下ると提案し賛同を得た。ヘッヘッヘ、あっしはそんな気持ちはこれっぽっちも有りやしません、目的貫徹のみです。
 で、雨の中雨山峠に着きました。平成二十年に歩いたルートとは全然違った沢沿いの路で、三十年たつと路も変わるのですなあ。小休止の後あたしは雨山へ登り始めた。後から聞いたのだが、皆は「え!」と思ったそうで、「話が違う……」と口に出さないのが偉い。詰まり半分覚悟をして居たのだろう(違うって?いや、きっとそうだろう)。
 当時の雨山山稜は薮山だったので、ガサガサを続け薮を抜け、又薮に入る。雨の中にしては途轍も無い楽しみだ。薮を抜けて振り返って待つとKSが苦い顔で薮から出て来る。それが当時の映画の大魔神と所作表情がそっくりで、酷く面白かったから今でもYと其の話をして笑うが、KSに取っては笑い事では無かった筈だ。
 もう一人の男性が此のブログの陰の製作者のA、其の頃はメタボで無かったAは、平然と薮から現れる。Aよ、山を続けて居れば良かったのに、メタボなんざ金輪際知らずに済んだだろうに!
 秦野峠からの廃道はどうにか辿れて、稲郷に到達したのは大いに目出度い。でも皆さんボロボロになって仕舞った様で、気の毒!
 今の道は辿り易い。一寸と迷う事も有るが大事は無い。と言う事はどっちが良いんだか分からないので、一生懸命薮をこいで、無事に帰れて良かったって、凄く幸せじゃないのかなあ。(確かにあたしゃあ一寸と変ですね)
 今の雨山山稜は、地味なれども味わい深し、しかも安全だろうから(比大昔)、暇な時に行って見たら如何でしょう。
 御不明な点はお問い合わせ下さい。はい、喜んでお答え致します。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

大魔神KSさん、ごう音いびきと鼻汁のYさん、メタボAさんと、丹沢の三銃士 または丹沢のチャーリーエンジェル、良い山仲間に恵まれて お幸せです。カラフルな山の便り ブログを楽しみに読ませていただいていまーす。どうぞ、無茶なさいませんように!DOGLOVERAKIKO

kenzaburou さんのコメント...

絶海の孤島のブログ(愚ログと呼んで居ます)に目を通して頂き、感激です。
お蔭様で良いか悪いかは兎も角、山仲間に恵まれて居るのは幸せです。
無茶は出来なくなってしまったので、ご安心下さい。