2009年7月18日土曜日

カモシカに会いましょう その一

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 札掛周辺は、特別保護区になって居たと思う。太古以来一度も伐採された事のない原生林の筈だ。国民宿舎丹沢ホームと山小屋が有る、静かな谷間である。
 其の周辺は幕府直轄領で、年に一度(二年に一度だったかな?)役人が盗伐を見回り、来た証拠の札を掛けて行ったので、札掛という地名になったので、伐採はされていない地域なのだ。
 普通はヤビツ峠から林道を歩く。一時間一寸との道のりだ。近道も有るが道通しに行くと、富士見山荘が立っている。でも、看板とは大違い、富士山は全く見えないのだ。一度泊まった時に、名前の謂れを聞いたと思うけど、歳のせいで忘れてしまった。
 暫く行くと青山荘が建っている。何時通る時も夜で、寄った事が無い小屋だ。私の中では夜の小屋との印象ができてしまっている。後は諸戸の事務所を通り、ひたすら歩くだけ。
 不思議なもので、歩いて居る限り目的地には着く、止まって居ると着かない。当たり前でしょう?でも、実感すると本当にその意味が分かるのです。 三昔半、Iと鹿島槍から槍ヶ岳への縦走を試みた事が有る。十一月末の初冬の大縦走、一週間の予定だった。
 ところが私の体調が絶不調、徹夜が続いてヘロヘロだったので、半分眠り乍ら山に入った感じで有る。悪い事は重なるもので、Iが腰を痛めて居て、荷物の多くは私のキスリングの中、背負うと、「う!」と言う代物。其れを絶不調の私が背にするのだから、悲惨其のものです。
 高千穂平迄で限界だった、とてもじゃないがもう歩けない。でも歩かなければ幕営地に着けない。仕方無く、歩幅を短縮10Cmに落として芋虫みたいな歩みとする。それでも必死に歩いてんですよ。
 其の時のIの気持ちは、Yを見る私の気持ちと同じだったのだろう。振り返ると遥か下をやっと登って来る姿が見えて、暫く待つしかないのだ。
「あー、何やってんだろう、とっとと登れないのかよ」
 そうだよ、登れればとっくに登ってるよ!やりたくってやり切れない、其れが悩みの種じゃん、ってさ。
 結局冷の幕営地に着けた、10Cmの歩幅でおまけにゆっくりゆっくりでも、歩いて居る限り目的地には着けるんです、人生捨てたもんじゃないのだ、天は自ら助く者を助くって事なのです。
 此の日の夕暮れ、薄く雪をまとった鹿島槍の姿は神々しいものだったが、朦朧とした私にはIの言葉も耳に入らない。
I「大塚、見ろ、凄いぞ」
私「……」付け加えれば「ボ~」。 (カモシカに会いましょう その二へ続く)

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