2009年7月7日火曜日

私が自炊に拘るのは その四

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 つい此の間(平成二十一年五月)、S、Kと飲んだ時、その時の話しになった。
S「大塚は詰まんないんだよ、ウィスキーはと言っても、いらない、酒はと言っても、飲まない、これじゃなあ」
私「だから、体調を壊してたの、必死に歩いたの!」
 頑強なSよ、私の様な虚弱な人間の気持ちも分からなくっちゃさあ。
 話が変わる前に謝っておきます。滅茶苦茶なNよ、御免なさい。
 零細山岳会で、奥秩父縦走合流登山を行った。金峰から入って、氷川(今の奥多摩駅)へ下る迄に二パーティが合流して、最後は十数人になるという、壮大(?)な企てであったのだ。
 A班は初っ端から歩き始める。私とNだ。何と情無い事。私は自分の食料を全て家に置いて行ってしまったのだ。詰まり、食料は定量の半分しか無いのだ。我ながら、粗忽で呆れる。それ以来、荷詰めはリストと照らし合わせ、完璧になったのは至極当然の事。
 二日目、予期せず尾根上の路で幕営する事になってしまった。何せ天幕が重い、綿布の八人用天幕だから、此れ一つで一人分の荷物になる。A班だからそれを背負って行く義務が有る訳だ。従って幕営地に辿り着けずに力が尽きた。荷物は滅茶苦茶重いし、食料も乏しいし……。
 仕方無く狭い尾根にでかい天幕を張った。路は天幕に占領され、横を擦り抜けるのも容易では無い。でも良いさ、もう夕方で誰も来る気遣いは無い。
 米が足りないのでお粥を造る。時間を掛けてとろりとろりと煮て、米を膨らませるのだ。そうすれば、取り合えずは腹一杯食べられる。尤も直ぐ腹は減るんだけどけどね。持っていた水は殆ど粥作りに使用した。勿論、尾根筋には水場なんざ有りゃあしない。
 お粥に塩気を付ける為に、塩の袋を傾けたが、入らない。似たような振る舞いの多い長男を非難する資格は、私には無い。愚かにも、袋のけつを叩いたのだ。どっと塩が入った。あ、どうしよう!
 一口食べた。
N「大塚、辛くないぞ」
 Nよ、君は良い人だ!
 二口、三口と塩辛くなって行く。その後はただただ塩辛い。当たり前である。
私「N、辛いから梅干を食おう」
 おかずは梅干だった。ははははは……、梅干が甘く感じられた。
N「大塚、気持ち悪くなった」
私「吐くな、食う物は無いんだ」
 我ながら酷い台詞で有る。
私「俺もムカムカして来た。吐く前に寝ちまおう」
N「それが良いな……」
 若さである。翌日生きて目を覚まし、B班と合流する幕営地へちゃんと到着したのだ。今ならテントの中に、干からびた死体が二体並んで発見されるのでしょうなあ。塩かなんか吹いちゃって、はっはっは(失礼、自分の所為なのに不謹慎でした)。 (私が自炊に拘るのは その五へ続く)

2 件のコメント:

John さんのコメント...

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kenzaburou さんのコメント...

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て訳で、ご容赦下さい。