2009年7月11日土曜日

私が自炊に拘るのは その五

FH000142

 

 水場ではさぞや水を飲み狂っただろうが、不思議と全く覚えていない。覚えているのは、歩きながら葉っぱに溜まった朝露を啜った事。
 次の峠でSをリーダーにB班五人が合流した。詰まり予備日が一日有ったという事だ。天幕は豪勢にも三張になった。二張りは男性用と女性用、小型の一つは食料庫である。私とNは隙を見て、食料庫へ忍び込み、ヨーカンや缶詰をがつがつと食べた。栄光のA班は、飢えの為、哀れ泥棒班に成り下がってしまったのだ。翌日食料係りのKは「おう、変だ、足りない」、と不思議がっていた。改めて、Nよ、Kよ、御免なさい!
 自業自得を一つ、軽いやつで。
 正月に赤石鉱泉で幕営、小屋にビールを買いに行った。小屋の中は暖かく、表とは別世界である。こっちは好きで天幕暮らしをしているのだからそれは良い。凄いのは冬山でビールが飲める事。赤石鉱泉様、有り難う!
 コンロで雪を融かしながらビールをぐっと飲み、一服つける、至福の時である。当時の私はルール違反をしていた。キオスクで買ったコーヒーの缶を灰皿にしていたのだ。(今はしてませんよ)
 読めましたか?そうです、一口飲んだビールに間違って灰を入れて、ジュッ!トホホホホ……。又靴を履き、小屋迄行ってビールを買い、雪を払って天幕に入る。ご存知の通り、意外と面倒な行動なのです。靴を脱ぐ時つったりして……。ま、マナー違反には良い薬ってとこですなあ。
 最後にも軽い奴を。   
 昔々々、花立山荘の軒下でシェラフに入って寝た事があった。此れも冬だったので、雪の上だった。流石に登山ブームの頃だ、冬の夜中にも登って来るパーティが幾つかあった。タフな奴等だ。「おい、あいつ寝てるのか、死んでんじゃないのか」なぞと勝手な事を言う声が聞こえる。若い頃はそんな事が言いたいものなのだ。
 明け方余りの寒さで目覚めた(シェラフはニッピンのスリーシーズン用だったので、当然冬は寒い)。自然の要求も強くて仕方無くシェラフを出たが、強い西風が吹いている。風に寄り掛かる様にして水無川に向かって用をたしていたら、風が巻いた。
 よろめく(寄り掛かっていた風が突然無くなったので)と同時に飛沫が胸から顔にまでかかった。あ、ばっちぃ、と思いますか?そんなの、私には何て事もないのだ。所詮汗と似た成分の液体なんだから。気になったのは、それが冷たい事(正確に言うと冷たくなる事)。
 それを除けばかかり放題である。汗びしょなら垂らして歩いているのと何ら変わりは無い。誰だ、俺は何時も歩きながら垂らしているよ、と言う奴は!
 又もや汚い話になってしまいました。此処いらで“ひどい目大会“はお開きに致します。お後が宜しいようで。

0 件のコメント: