2009年5月19日火曜日

生まれる路、消え行く路 その一

FH010026

 

 新しい地図を買って来たのだ。えっへん。君子豹変す、と言うでしょう。勘違いが多いのは、君子と思ってた人が突然悪人に変わると言う意味だと思っている事。違う、君子は豹の様に素早く己を改めるという意味なんです。大人(たいじん)虎変(こへん)す、と言うのが君子の上で、小人その表(おもて)を改める(詰まり改めた振りをする)、と言うのが、一番下にある。そう、私なんざその、表を改める、の口です。事実だけに、残念ですなあ。(忸怩たるものが有ります)
 前章で反省して、改めるには憚り無し、早速買いました(ま、此の件だけは君子の行動ですな)。執筆者は大野久氏、本来写真家だけあって、付属の小さな案内書の写真も偉く素敵である。どうして私の撮る写真と、こんなに差があるんだろう?(あのねえ、腕の差だって!)
 地図を開いて驚いた。路だらけで、真っ赤になっており、ポイント説明も克明である。大山北尾根も路(破線だが)になった。後で触れるが、懐かしい尾根なのだ。
 何と、辺室山にも路ができている。確かに前から路は有ったが、はっきり記入されたら、辺室山は唯の蛭の多い低山になってしまって、ロマンが失せてしまう。あんまりだ。
 おお、ユーシンから臼ヶ岳への尾根にも、破線が付いてしまった。私の勝手な好みで言うと、そっとしておいて欲しかったのだけど。全く、しようが無いなあ。
 大界木から鳥ノ胸山(とんのむね)へもルートができちまった。確かに前から踏み跡は有った。入り口が不明で、隣の尾根に入り込み、ごそごそと正しい尾根に這い上がった事があったが、今では入り口もはっきりしているのだろう。お、こんな尾根の先に、路も無い変わった名前の山が有るぞ、是非行こう!と思う人の楽しみは、これで奪われてしまったのだ。大野君、変わり者の恨みを買うぞ。
 ややっ、大野山から秦野峠へも破線が有る。ブッツェ平を越えて峠へ向かう時は、ルートを外さず辿る楽しみでワクワクしたものだが、これからの人は、その楽しみは味わえないのだ。とてもお気の毒です。(え、気の毒じゃないって?)
 秦野峠の林道も完成して、遠い峠だという印象は消え失せてしまった。峠に辿り着けずにすごすごと引き返した私は、丸で阿保になってしまう……。
 その秦野峠からシダンゴ山へも破線が……。路ができたら、一応独立峰扱いされていたシダンゴ山が、唯の尾根末端の低山に落ちぶれてしまうじゃないかさあ。それじゃ余りにも哀れだ。
 金山谷ノ頭から広河原へも破線が付いてしまった。マイシークレットルートだったのに。こんな所を好んで通る奴は、放っておいて欲しいよ。詰めに一ヶ所ザレっぽい所が有ったが、整備されちゃったんでしょうなあ。
 これは決してケチを付けているのではないのだ。できてしまった路は仕方ない。私が勝手に寂しがっているだけだ。(でも、どこかで私に会ったら背後に気をつけた方が良いですよ大野君、ふっふっふ……) (生まれる路、消え行く路 その二へ続く)

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