「サヨナラダケガ人生ダ」とは川嶋雄三監督の台詞だが、彼の代表作「幕末太陽傳」が日活創立100周年事業としてデジタル修復して上映したので、妻と此の正月に観に行って来た。
勿論単館上映で有る。あの単館の雰囲気は独特で、シネコンでは決して味わえない。モギリ嬢(死語?)が切符を売るのは昔の侭。
昭和32年封切りだが、今でも新しい。テンポの良さには改めて驚かされた(前にも観て居たので)。あの品川の風景、此れは今で再現可能だろうが人々の動きは、多分再現不能だろう。
細部に迄考証が行き届いて、見事に当時を表して居る。流石、100日本映画を募ったら、第5位になった作品で有る。因みに1位は「7人の侍」だった。
笑わせる中にも哀愁が漂い、フランキー堺はこんなに名優だったのか(名優だよ!)、と驚かされる。
彼演じる処の、落語の居残り佐平次より借りた主人公佐平次、手八丁口八丁、抜群の頭の回転で難問をどんどんさばいて行くのが痛快だが、ラストに出て来る、頑固な田舎者には歯が立たないのが面白い。
其のラストだが、余りに有名な逸話なので改めて書くのも何だけど、ひょっとして知らない人が居るかも知れないので書いておく。
佐平次は座敷牢から、主人の倅と其の愛人(?)を逃がし、自分も逃げるのだが、川嶋監督は撮影所の鉄扉を開いて、其処から現在(昭和32年当時)の街を走って逃がすつもりだったのだが、スタッフ、出演者の全員が理解出来ずに反対し、為に普通のラストになった。
そうでしょうとも。あたしが10歳の年だ。川嶋監督のセンスが進み過ぎて居たのだ。後年、フランキーは監督の案にしとけば良かったと悔やんだそうだが、後の祭りとは此の事。
2012年1月15日日曜日
休題 その八十四
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4 件のコメント:
フランキー堺の「わたしは貝になりたい」も、良い演技でした。忘れられません。
確か、芸術祭でテレビ上映でした。
フランキー堺は真に迫り、可哀そうで辛かったです。
「サヨナラダケガ人生ダ」
バカボンのパパは未だに、41歳
これでいいのだ
悪戯っ子拝
悪戯っ子さん
「サヨナラダケガ人生ダ」
確かに、これで良いのだ。
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