写真は、丹沢の掘山に設置されたセンサーで、多分、通過した登山者をカウントして居るのだろう。
此れは理に適って居る。電気の無い所だ。
理に適って居ないのは、太陽電池を救世主扱いして居る風潮だ。確かに、家庭で太陽電池を設置すれば補助金は出るは、余剰電力は買い取って呉れるはで、おまけにCo2は零なのだから、此れは理想的装置、これからは太陽だ!!とマスコミも政府も言って居る。そして、皆さんそう思って居る(らしい)。
冗談は休み休み言って欲しい。
ほら、又訳の分からん事を言い出したぞだって?真実は真実なので、真実の為の発言ならば、否定者が百万人でも我行かん、があたしの生き方なのだ。ふん、真似してご覧(え、嫌?そりゃそうだよねえ)。
肝心なのは、自分が得をするかどうかでは無く、グローバルに見てどうかと言う事。
確かに今我が家をソーラーシステムで建てれば、結構得する(と聞いて居る)。それは税金で補填して居るからなので、詰まりあたし達が支えて居るのだ。悪いが真っ平御免だ!
利己主義だ、環境を考えろだって?(人差し指を振り)チッチッチ、考えてるから言ってんだよね。
今の処(多分近未来も)太陽発電地は、自分が生涯に造り出す電力より、其の太陽発電地を造り出す電力の方が大きいのだ(エネルギーを電力換算して)。
詰まり、太陽電池は地球規模で見れば赤字を増やすだけなのだ。疑うならお調べ下さい。単なるアドバルーン、人の耳に心地良いだけの話だと、あたしは看破して居る。
尤も将来は分からない。技術は進歩する。ある日やっと黒字になりました。其れは目出度い。
でも、現時点で、原発一基を太陽電池でまかなうには、山手線内の面積が必要なのだ。
日本は、そんなに空き地が無いのでは???
2012年1月29日日曜日
クソ面倒な話 その四十一
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