2016年9月15日木曜日

休題 百七十五




 随分前だが、甚だしい冷夏の為に米が不作で、外国(主にタイだったと思う)から米を緊急輸入して間に合わせた年が有った。
半世紀も前ってんじゃない。三十年位前かな。輸入米は外食産業を中心に流した様で、外でライスを食べると外米だった。
 其の時、何とも懐かしい思いに駆られ、夕方の坂の多い大田区馬込の道や家が、はっきりと浮かんで来た。
 直ぐに気付いた。臭いで有る。外米独特の臭いが、幼い日の記憶を呼び戻したのだ。馬込に住んで居たのは短く、五歳から六歳迄だ。
 其の頃は、七輪に練炭で煮炊きをした。夕方になると一斉にご飯を炊き始める。詰まり其の米が外米だったので、外米の臭いが辻辻に溢れたのだ。
 臭いとは不思議なもので、記憶を呼び起こす力は最強なのかも知れない。音楽にも其の力は有るけど、臭い程ではあるまい。
 馬込時代、昭和二十七、八年の配給米はタイ米で、ガスは未だ復旧して居なかったと分かる。練炭の需要がさぞ大きかっただろう。ガスが通った時、練炭屋はどうしたんだろう、と余計な事を考えて仕舞う。
 練炭繋がりで言えば、高校生の初め迄教室のストーブは、石炭を炊くだるまストーブだった。触るバカは居ないだろうが、安全の為に周りを金網で囲って有った。当番が石炭の補充をしたものだ。
 高校三年生の頃は新校舎になって居たから、もうだるまストーブは無かった、と思う。いやあ、やけに古い事なんで記憶が極めて朧だ。
 だるまストーブが消えて行った時、石炭屋はどうしたんだろうか。
 此の処異常に涼しい日が続くので、つい冷夏の年を思い出したのでした。

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