2009年11月3日火曜日

柄でも無い事 その六

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 志野が焼き物の王道だとは、中々気付けなかった。何だかボテボテして締まらないなあ、なぞと思って居たのだから、分からない奴は分からないと言う事。
 多治見へ仕事で行った時、ふと気が向いて岐阜県陶磁資料館へ足を伸ばした。当時は焼き物に、何となく良いかなあ位の興味が起き始めては居たが、冒頭の通り志野の良さなぞ分かる筈も無い頃だった。
 陶磁資料館のメインは勿論志野。これでもかと説明と展示、でも分からんじんのあたしは、ふーん、と見るばかり、正に豚に真珠です。
 古い物を並べて有るので、白、紅、鼠、じっみーなんです。ミーハーおじさんの興味は引かない。半欠伸で出口の売店を覗いたら、流石売店は今風の品物揃い、な、何とピンクが主流なのだ。
 ご承知の通り中国の白磁を何とか陶器で模倣出来ないかと(未だ日本には磁器が無かった)、苦闘して創り上げたのが志野なので、当然白を追求したのだが、今は違う、志野と言う立派なジャンルを確立し、どんどん技術も進歩して居る訳だ。
 ミーハーおじさんも鮮やかなピンクの志野には心を引かれ、ぐい飲みを一つ買い求めて母へのお土産にした。
 母は喜んでくれたが、子供のお土産は何でも喜んでくれるのが母親と言うもの、思えば何時でも沢山お土産を買って帰れば良かったと、今悔いても手遅れ、孝行をしたい時には親は無し、とは真実です。
 其の志野だが、酒を飲むと唇に美味しいのだ。詰まり口触りが心地よく、こりゃ良い物を買った、と一同喜んだのだった。
 当然で有る、志野の命はあのふっくらとした柔らかさで、それが唇にも分かるのだ。正月は其のぐい飲みでお神酒を頂くのが、慣習となった。今は、沢山ぐい飲みが有るので、其の慣習は無くなった。
 地に鉄分を塗って釉薬を掛け焼き上げると鼠志野となる。渋くて重厚、あたし好みだ。徳利でもぐい飲みでも茶碗でも何でも御座れ、惚れ惚れするのだ。
 因みに志野の釉薬と萩焼とは同じ物なのだが、萩をあたしは好まない。何だか女々しく感じて仕舞うのだ。土の違いなのだろうか。
 志野の徳利で志野のぐい飲みに酒を注ぐ。目が喜び、唇が喜び、喉が喜び、胃が喜び、そしてあたしが喜んで、酔っ払う。
 酔っ払うと言う結果には何の変わりも無いのだけれど、少し贅沢に酔っ払うってえのも、決して悪い事では無いと思うのです。
 で、志野は絶対にお薦めですよ!

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

志野焼き、萩焼き、鉄分を塗って鼠志野、ピンクの志野、、、そうですか。ぜんぜんわからないのですが、写真のぐいのみは、本当に 素敵ですね。これで飲んだらなんでも美味しくいただけそうです。見れば観るほど 作った人の心が伝わってくるようで 味がある焼き物ですね。ろくろで回さないで 手作りなのでしょうか。こういう ちょっとした芸術品を所持して 自分で好きに使えるって、贅沢で楽しいことですね。陶芸もされるのですか?

kenzaburou さんのコメント...

内側や高台えお見ると綺麗な円を描いて居るので、轆轤造りと思われます。
此れで呑む酒は美味しいですよ!
あたしは人様の造ってくれた器で飲むだけで、自分では造らない(造れない)のです。えっへん。