2009年11月7日土曜日

迷ったなんて認めたくない その一

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 生きている限り、迷うのは避けられない。
「え、A社ですって、絶対B社ですよ!」
 良く有るパターンだ。
「A子は美人だし、B子は優しいし、さて」
 おめでとう!
妻「あなた、どっちが似合う?」
夫「(生あくび)どっちも似合うよ」
 これもよく有る話だ。
「生きるべきか、死ぬべきか」
 好きにしろ、馬鹿ハム!
 その手の迷いではなく、山の話である。山で迷ったら一大事である。それは遭難だ。里道では迷う。これはしょっちゅうで、余り当たり前なので、置いておこう。私は幸いにも、山中で迷った事が殆ど無い。その少ない事例の一つから始めよう。
 山では下りで迷う。一つ尾根を外すと全く違う事になる。見通しが利けば何でも無いが、何も見えない時は、注意していても危ない。特に雪山では、路が無いから特にである。
 上越の春山だった。ガスである。稜線を辿っている筈だったが、どんどん下る。変だ。気づくべきだが、迷った事を認めたくないのが人情だ。愚かな思いだと思う。でも認めたくないの!認めるのが余りに辛いから。
 斜面が偉く急になった。流石に稜線を外れた事を認めざるを得ない(本能はとっくに認めていた)。対応策は唯一つ、下った所を登り返すのみ。更に下るのは自殺行為で有る。一寸と登って諦めた。登りきれない。登りの労力は下りのそれに百倍すると言われるが、確かだ。登れないとなれば仕方無い、ビバーク(正確にはファーストビバーク)の一手だ。散々雪を蹴って(実は大変な労力なのだ)、どうにか天幕を張れる斜面をでっち上げ、傾いて歪んだ天幕を張って一晩を過ごした。遠く滝の音が聞こえる。相当降りたのだ。
 不安な夜だった。谷川岳の夜と似た不安だ。何度も地図を読む。一体俺は何処にいるんだ?一人でなければもっと楽だっただろう。一人と複数は違う。どの位違うかと聞かれれば、数字なら三桁、魚なら鮪と鰯の差は確実だろうと答えよう。
 正月の五竜に登る為、神城駅にキスリングを背負って降りた。駅前には洒落た店が並び、スキーヤー達(と思う)が歩いている。一件に入ってモーニングを食べたが、別世界だ。これから冬山に入る人間には、気力を削がれる感がある(え、そんなの私だけ?)
 これが複数なら、
「お、良い店だな」
「暖かくて良いや」
「今夜は寒いぞ」
「おー、やだやだ、温泉入って帰ろうか」
「馬鹿言え」
 となる。素晴らしきかな冬山よ!である。一人だと、唯緊張して、山中で緊張して、下山で緊張するのだ。まあ、それにはそれなりの喜びもあるのだが。 (迷ったなんて認めたくない その二へ続く)

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

オサレな喫茶店のモーニング、、、温泉はいって帰ってしまおうか、、、本当にそうですね。気合入れて来たのに、下界の上高地の帝国ホテルあたりでスカートはいた、きれいなおねーさんなんかが散策しているのが目に入ったりすると、なんかガックリきます。
山屋さんには、頂上を目指しているときは頂上を嗅ぎ分ける臭覚みたいなものがあって、道に迷わないのでしょうか。右に行くか左か どうやって見分けるのか 不思議です。雪山のビバーグ 一度やってみたい!!!

kenzaburou さんのコメント...

積雪期は基本的に道が無いのです。雪に埋もれてますので。
従って、登って居る限り、間違い無くピークには着く訳です。
下りは駄目で、目視出来ないと何処へ行くやら分からないのです。
上高地でガックリ、はっはっは、良く分かります!
雪山のビバーク、うーん、余りお薦め出来ない感じなんですが……。