で、三ノ塔尾根は植林帯に入ると間違えやすい。植林道が入り乱れているからだ。私は下りながら、小学生の子供を連れた夫婦を抜いた。とっとと下り、登山道を外した事に気づいた。尾根は右方向。その間は割りと急な笹薮だったが、何て事も無い。笹を掴んで行こうとし、はっと気づいた。あの親子連れは?
見ると、案の定、遥か上から私の方に降りて来る。一服つけて待った。
私「道が違うので、私について来て下さい。良いですか、しっかり笹を掴んで下さい」
夫「……はい」
笹薮をトラバースした。親子も必死について来る。無事登山道に到着。
私「これが道ですから」
夫・妻「有難う御座います、お陰で助かりました」
口々に礼を言われる私は、引ったくり犯が盗んだ品物を返して、礼を言われている気分だった。大体からしてが、私が路を間違えさせたのだから。曖昧に返事をして、下ってしまいました。相変わらず、駄目な私。
別の時、鍋割山稜に入り、大丸を越したあたりで、中年の男性二人が地図を広げて覗き込んで居た。そんな時は必ず声を掛ける。
「どうしました?」
お節介?(人差し指を振って)チッチッチ、違うね、必要な事なのだ。迷っているに九割九分間違い無い。地図で景色を確認しているなら、覗き込んではいない。
大阪でお客さんのM医療器を訪ねるのに、何時もと逆方向から行った事が有る。其の付近なのだが分からず、キョロキョロして居ると、おじさんが声を掛けてくれた。
おじさん「何探してはるんや」
私「M医療器なんです」
おじさん「其の筋を行って、ほれ、あの角を左に折れはったら、じきでっせ」
私「有り難う御座います!」
ね、有難いでしょう。だから私は必ず声を掛けるのだ。反応は決まってほっとした顔付で有る。
中年男性「大倉へ降りたいんですけど、間違ったみたいで」
ははー、金冷しの分岐に気付かず、通り越したんだ。
私「塔からですか」
中年男性「はい」
私「今は此処です。大倉へは来た路を戻って、此処で右へ下ります。道標は分かり易いですから、直ぐ分かります」
中年男性「有り難う御座います!」
お互い様なのだ。其の上誰かに教われば簡単で、しかも間違えようも無い。迷ったと気付いた諸君は、多少でもパニくって居るので、変な勘違いをしてしまう事も有り得るのだ。現に私にも変な勘違いが有った。それについては又何時か、機会が有ったら話しましょう。
別の話、秋の千畳敷に妻と行った。二昔前だ。観光客達とゴンドラを降りると、一斉に、おー!と歓声が上がった。勿論私と妻も、おー!だ。カールと宝剣岳が紅葉に燃えている。(宝剣岳は木が無いので紅草です)
(迷ったなんて認めたくない その四へ続く)
5 件のコメント:
自慢をさせていただければ、道を聞くのは「お互い様」であったことはありません。いつも、人を見たら、どん!!!と地図を相手にわたして、「わたしは どこにいるのですか?」と聞きます。教わったあとは、「では、どうしたらよいのですか?」と また聞きます。で、いつも、無事帰ってきていました。本当に みなさん、ごめんなさい。
其れは無理からぬ事と思います。
多分サバイバルの世界でしょうから。
大体からして、あたしだったら、身振り手振りになるので、無事に帰れる保証は無いのです。Dogloverさんは偉い!!
あ、文脈を読み違えたかも知れないです。
外国の町では無く日本の山でしょうか?
そうならば、「では、どうしたらよいのですか?」は困るなあ、データーが少なすぎます。
でも、いつも無事に帰られたのだから、”女傑”との言葉が浮かんで仕舞います。
ウエーン、隊長! ごめんなさい、ごめんなさい。いつも、登山計画は ちゃんと先輩に見てもらってから 出発していたのに、何故か 山に入ってしまうと 人に聞きながら歩くことになってしまうんでしたー。
何故なんでしょう?
世の中は謎に満ちて居る、って事にしておきましょう。(現にそうだし)
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