2010年8月21日土曜日

旅立ちの日 その三

FH010018

 

 旅行と決定的に違うのは、食料も持参するので、食料表が必要な事だろう。其の食料も行程日数+一日+アルファーは、最低でも用意する。燃料も同じ計算に従って準備する。
 装備表にチェックを入れ乍ら、ザックに詰めて行く。食料はスーパーに買出しに行き、これまたチェックを入れて詰める。出来上がったザックの重さ(大体24~28kg)に呆然とする。此れを背負って、何日も歩くのかい。うーむ、大丈夫なのかなあ。
 そう思うのは最近の事で、昔は、うん、こんなもんか、チョロイなあ、だったのだから歳は争えないもんです。
 あと、常に気になるのは天気だ。もし、登山期間中の天気が、明らかに悪ければ中止の一手なのだ。何とかならあな、と出掛けても、良くしたもので何ともならず、テントの中に閉じ込められて居るだけなのだから。
 途中で気圧の谷が通過する位なら、出掛けて仕舞う。悪くしても、一日停滞(行動しないでテントで待機する事)すれば、天気は回復する筈だ。
 既述かな、まあ良いや。単独の停滞は結構辛い。何が辛いって、時間が経たない。コーヒーを飲んだり、煙草を吸ったり、酒をちょっぴり(量が限られて居るので)飲んだり、ウトウトしても、未だ午前中!
 やる事と言えば、たまに表に出てペグを埋め直すか、雪の補充をして水を造る位で、唯ぼーっと雨音と風の音を聞く。そして、寝るしか無い。其れは其れで如何にも自然そのもので、悪くは無いけど、しょっちゅうやりたくは無いのも事実だ。
 さて、いよいよ旅人の出発の朝になる。家人の寝て居る時間に起き出して身支度を整え、簡単な朝食を取る。一服付けて登山靴を履いて居ると、妻が送りに起きて来る。気を付けてね、と必ず言う。うん、と答えて、ザックを背負う。其の重さに改めて驚く。そして扉を開けて出て行く。
 手を振って見送る妻に、ピッケルを上げて答え、駅へ向かって歩き出す。
  淡々とした出発で有る。気負うでも無く、気後れする訳でも無く、唯歩き出すのだ。う―ん、ドラマが無いですなあ。
 そして、其の瞬間に日常と縁が切れる。スッパリと切れる。面白いもので、季節や日数に関わらず、駅へ向かって歩き出すと、山が始まるのだ。此の一瞬の為に何日も掛けて準備をして来たのだ。
 不安と気負いは準備期間で何度も繰り返して居る。いざ旅立ちの時は、其の正反対の淡々とした気持ちだ。
 それが私の旅立ちの日で有る。多分他の人達も、同じではないかと類推して居るが、訊いて歩いたのでは無いので、分からない。
 何、出発した後は、唯々喘いだり、汗を垂らしたり、寒がったり、暑がったりの山登り。何で来ちまったんだ、と情無くも思ったりして人影も無い雪の山を一人で歩く、バテたおじさんになるだけなのです。
 結局、其の為に山に行くのでしょうな。

4 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

「見送る妻に ピッケル上げて答え、、、駅に向かい歩き出すと山が始まる、、、」かっこう良すぎます。映画の名場面のように、想像できます。

山つつじの色がきれいですね。こちらでは これから春なので、つつじが咲き始めました。特別寒かった冬が ようやく去って行こうとしています。

匿名 さんのコメント...

悪戯っ子には、何やら形而上学的な話に聞えます。
奥様は「シェーン・カムバーック」みたいな心境(ちょっと違いますか?)

日常と非日常。どちらも現実なのですが日常は退屈で誰もが外に出て非日常を味わいたい。映画を観るのも其れならば海にゆくのもそうなのですね。

先日、大島までセーリングしました。港を出てセールを上げエンジンを止めると波を切る音や海猫の鳴声が聞えます。これは半年ぶりの非日常の世界でした。

kenzaburou さんのコメント...

Doglover Akiko さん

照れます。現実は変なおっさんが変なザックを背に歩いて行くだけで、不審尋問を受けないだけでも、増しって事です。

そうでした、南半球はこれから春でしたね!

kenzaburou さんのコメント...

悪戯っ子さん

>何やら形而上学的な話に聞えます

ご存知の通り、あたしに形而上学的な話は似合いません。
現実バリバリ馬鹿男、見た通りの存在なのは、いばるっても良い程です。