小代焼きの窯は、熊本市の郊外に有る。
西に出張が多かったが、熊本は数回しか行った事が無い。余り縁が無かったと言う事。
其のうちの一回、バスに乗って小代焼きの窯へ出かけた。
仕事はしてるの?してます、ちゃんと。時間とは造り出すものなのだ。
Kの場合は別だ。彼はプラント技術者だったので、出張に出ると長い。一月二月は当たり前だ。話をきくと、山や遊んだ話ばかり。
K「いやー、鮭が登って来るんだよ」
私「近く(宿舎の)なのかい」
K「遠いんだ。自転車で三時間以上掛けて見に行ったんだ」
そんな話ばかりだ。
私「仕事はしてんのかい」
K「いや、其れがさ、出来上がらなきゃ検査も出来ないから、お茶を飲んでんだ」
詰まり、仕事をして居ないと判断せざるを得ない。随分前に書いた、福井の春山の滑落も、勿論出張中の事件で、一ヶ月以上も入院しちまって、よくクビにならなかったもんだ。
Kと比べれば、あたしなんざ遥かに良く働くので有る。
小代焼きは粗い小代粘土を焼いた物だそうだ。素朴で力強い。窯元はお馴染みの、薄暗い造りで、隅に販売する品物が並んで居る。
高価で無いのが嬉しい。萩や唐津や美濃や備前の様に名の通った地方では、高名な作家が居て(人間国宝迄居る)、桁が違う値段がついて居る事が多いが、小代焼きには其の心配は無い。
さて何か一品を、と選ぼうとすると迷うのが人間の浅ましさ。とは言っても、自慢なんだけどあたしは買い物に迷わないタイプだ、エッヘン。何でも良いから、目を瞑って手に触れた奴に決めれば良い、なぞとぬかして居る阿保さ加減なのだ。
でも、焼き物と山道具はそうは行かなくて、唸って仕舞い、客の居ない売り場(地方の窯元は大抵そうなの)をウロウロする姿は、男らしく無い事甚だしく、人様にはお見せ出来ない。
結局、懐具合が枠を決め、其の範囲のお気に入りに決める事になるのは、道理なのだ。
写真の徳利にしたのだが、釉の流れに色気を感じ、高台の切り取りのシャープさに惚れたのだ。酒も二合は入るし(涎)。
小代焼きを余り知る人も居ないだろうから、こんな良い焼き物も有りますよ、と紹介の意味も有って書きました。
3 件のコメント:
わああ あでやかで、むっちり、すごく美人のとっくりですね。こんな 使いやすそうで美しい美術品を身近に置いておきたい気持ち わかります。
無知ですみません。コダイ焼きと読むのですか、オダイ焼きと読むのですか?
しょーだいやき、と読みます。
無知だなんて飛んでもない。知ってる人は稀だと思います。
使い勝手が凄く良いですよ。
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