2020年6月16日火曜日

休題 その三百十四



 マッドマックス 怒りのデス・ドーロをネットフリックスで観た。未だ県を跨いで移動するななぞと言うもんだから、映画ばかり観て居る感じですなあ。
 映画館で観た迫力はテレビの画面では出っこないのは承知だが、映画館の大画面の威力を今更乍らに思い知りました。生で聞くオーケストラとCDとの違いに近いかな。
 古いマッドマックスが懐かしくなって、ツタヤで借りてⅠとⅡを観た。Ⅲは明日観る予定だ。
 怒りのデス・ドーロ(以下Ⅳとする)はジョージ・ミラー監督がⅰを撮ってから、三十六年後の続編って事になる。爺さんになってるだろうに、全く爺さんじゃない。映画史に残る前作を越えているだろう。
 Ⅳのマックスはトム・ハーディで、若き日のメル・ギブソンにはとても適わないが、それはそれでも構わない。トム・ハーディも良い俳優だし、インセプションでも好演だった。
 ジョージ・ミラーは明らかに映画製作の腕を上げているが、本質が昔と全く変わらない。それは見事な一貫性なのだ。
 砂漠を様々な改造車や改造バイクが走る。大概は追跡のシーンだ。どの作品でもその追跡シーンだけで20%はある(除く戦闘シーン)かと思わされる。
 そして必ず出て来る、キチガイじみたおかしな連中。昔の作品は暴走族風だったが、Ⅳはカルト集団(?)になっている位の違いか。
 しみじみ思わされたのは、この監督はどんだけ砂漠のカーチェイスが好きなんだよぉ、って事である。確かに、ぐんと引いて撮る追っかけっこは見事に絵になっている。だからってそれを20%(あくまであたしの感覚ね)も撮るり続けるか、普通はさ。
 普通ではないって事でどうでしょう? 悪い意味は微塵もないですよ、褒めちぎってんです。ぶれない人です。

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