2011年1月10日月曜日

休題 その五十七


 何度も鑑賞に堪える映画は、そうはざらに転がっては居ない。観る度に新しい発見が必要だからだろう。さも無くば、流石に何度も観れば、飽きて仕舞う。
 あたしにとっての、そう言う映画の一本がマトリックスで有る。え、無闇と俗だって?悪かったね、あたしゃあ無闇と俗な人間なんだよ!!
 日本のアニメが発想の原点に有るらしいが、其れとは別に、立派に作品として成立して居る。映画館で一回、
DVDで十回近くは観て居る筈だ。
 勿論、突っ込み処は満載だが、そんな事が気にならないだけのパワーが有るので、矛盾、不整合なんざ吹き飛ばされて仕舞う。
 とか言い乍ら一つだけ、どう考えても変な処を論(あげつらう)っちゃおうっと。
 ネオの体が何処に有るかを探るプログラムの入った赤いカプセルを、ネオは飲んだ。で、覚醒した為に廃棄されたのだが、即座に救いが来て、ネオはモーフィアスの船に収容されるのだが、三作目のレボリューションでは、「機械の国に近づいた者は居ない」とか言ってる。
 では、ネオを何処から救出して来たの?機械の国以外に人間発電機を設置するってえ事があんのかい?人間発電機は心臓部って訳なんだから、機械の国の、其れも中心部に決まっているだろがよ!!
 下らない事でした。一作で終ろうとして居たのが(あたしの読みです)、思わぬ好成績で、2、3作が作られた、とあたしは思って居る。当然、不整合も表れる訳だ。間違って居たら御免なさい。
 ケチをつける章では無い。褒める章なのだ。
 機械と人間の対立、多い主題だ。古くはモダンタイムスから始まり、ターミネーター、2001年宇宙の旅にも其の部分は有るかな。
 外には、えーと、
AIは別に対立はして無いし、アイロボットだって操られて居ただけだし、無いかあ。あたしの貧弱な知識では、以上です。多い主題だ、は取り消します。
 ネオ(英語だとニュー)は、ネオキリストなのは、一目瞭然。従ってネオ。
 併し、スミスが制御不能に陥って、故に機械との交渉も可能になったのだから、スミスのお陰でザイオンは助かった様なものだ。
 でも、あたしゃあ甘ちゃんの能天気だから、何等かの手段でネオが、喩えご都合主義と非難されても、スミスに勝つのだろうと、思って居たのは、白状するのも恥で有る(汗)。
 成る程、其の手が有ったか!と思わせた製作者側の勝ち。映画を観るのは勝ち負けじゃ無いって?多少は勝ち負けなので、観る方と造る方の勝負の緊張感が水準を高めるの!!
 ネオの勝ち方が分からなかったのは、あたしだけじゃ無ければ良いのだが……。処で、ネオの死んだシーンは、風の谷のナウシカっぽかったですなあ。続きます。

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