2011年1月15日土曜日

休題 その五十八



 五十七の続きです。迷惑と思う方は、逃げ散る事をお薦めします。
 此の映画は、やけに選択を重視して、尚且つ、偶然を否定したがり、必然だと言い張る場面が多い。選択と必然とは、矛盾する要素が有ると感じるのは、あたしが俗人だからだろうか?
 多分そうだろう。選択と必然の間の何処に、矛盾が存在し得るってんだい?うーん、詰まり、選択した結果が必然って事なのかい……。
 突き詰めるのは辞めよう。あたしの人生に関わって居る訳では無いし、あたしに解ける問題でも無い様だ。
 全てを必然だと断定するのは、モ―フィアスのみならず、スミスも、ナイオビも、誰も彼もそうなのだ。悪役のフランス人でさえそうだ(ったけ?)。
 確かに、6度目のザイオンの滅亡の危機となれば、今迄の経験上、全てが必然で有るのは当然で、其れを感じるモ―フィアスは偉い!!
 但しザイオンの危機が6度目と知って居のは、人間ではネオのみなのだけど、其の意味が分かって居るのだろうか?
 ま、分からない方が幸せって事は多い。知らぬが仏って諺も有る事だし。
 ネオは此処でも選択を迫れれる。人類を救うか彼女を救うか。あたしゃあ仰け反るが、此のネオ(6人目)は彼女を救う選択をする。

  それって有りか!!!!

  しかも、どう見ても音速を超えたスピードで胸に弾を食らったトリニティが地上に落下寸前にゲットするが、あれじゃあ大人しく落下した方が、遥かに良いんじゃないかい?少なくとも、誰の遺骸だかは、判別出来るだろうから。
 あの状況じゃあ、トリニティはネオの腕の中で、単なる肉塊となって居るなら未だしも、どっかにバラバラに吹っ飛んで霧の様に消え去って居るのが、真実だろう。マトリックスの中だから、何でも有りって事なのかな。
 話がずれた。人類より恋人トリニティを選ぶ救世主、パラドックスで有る。尤も、恋人も救えない奴が人類を救える筈が有る訳無い、とも考えられる。
 いずれにせよ、ネオは己を犠牲にして人類(ザイオンのだけど)を見事に救ったのだから、間違い無く救世主だ。たとえ、つかの間の平和で有ったとしても、で有る。
 どうせザイオンは、やがて滅ぼされ、再建されるのだろう。機械が偉く義理堅い連中とは思えない。ならば、利害は永久に一致しないので、力に勝る機械が勝つのは当然だ。
 余り明るく無い映画ですなあ。其れでも、あたしはマトリックス命です。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

おやおや そういう結論なんですね。マトリックスは、フィリピン時代に公開された映画なので、いろいろあって、映画どころではなかった時期の映画なので、3作ともパスしていました。でもいつか見たいと思っていきました。解釈がむつかしい映画ですね。もうDVDが安くなっているので 買ってみよっと。

kenzaburou さんのコメント...

DVDを買って下さい!

あたしは絶対名作だと思います。
人によっては迷作と思うでしょうが、そんな事は無い!!

安いなら、迷う必要は有りませんよ。