2010年12月12日日曜日

地図でも濡れ放題~♪ その四


 土のギャップは横に伸びており、10m程先に木が生えて居る。其れも、斜面から横に出て、直ぐに上へ向かって伸びたと言う変な奴だ。そう言う方法しか、成長は不可能な地形なのだ。
 けっこう太いので、あれにぶら下がって這
い登れば、土の壁は突破可能だろう。いや、どう見ても其れしか方法は無い!一寸と上には笹も生えて居るのだ。
 で、足元を崩し乍らびくびくもので土のギ
ャップに沿って進み、其の木に取り付き、腕の力で体を持ち上げ、木の湾曲部に立てたのだ。やったー!!
 今なら出来ない。やったとしたら、良くて
も木にぶらーんとぶら下がって、やがて力尽きて落下してお葬式。
 実際は、其の木に着く前に足元が崩れても
当時の様には素早く移動も出来ずに、土に深く長く恨みの爪痕を残して滑落、お葬式。
 いやー、昔で良かった。今ならどう転んで
もお葬式なのだ。木の上に立てば、ギャップの上の斜面に手が届くので、笹を掴んで力任せに突破しました。
 従って、必死に地図を見るのは稜線上の下
りの部分か、其のものずばりの訳の分からん下りなのだ。
 視界が利く時は良い。地形を周りと照合し、
間違い無い事を確認すれば良いのだから、気が楽で有る。とか言って、見事照合出来れば苦労は無かとですよ!あ、九州弁になっちまった。兎に角、思う様には行かんとですよ。間違えるんだ、普通は。でも、間違えない自信は有ったとです。ばってん……。
 其れでも間違えて、Yに酷い思いをさせた
事は山の報告その一に書いた。いやあ、あの時は全く慎重さを欠いて居て、チラッと地図を見て、此処だと決めたのだから、言い訳もクソ(失礼)も無く私の失態でした。
 何で?とあたしが思う。詰まり、妻とモミ
ソ沢を登って居る時、訳分からん状況で堀山に登って仕舞った様に、ボケが来て居た可能性は、否定できない(涙)。
 本当に、一寸と前迄は有り得ないミスを、
最近はする。方向感覚も鈍った。歳には逆らえないので、無理は禁物って事でしょう。
 問題なのは見通しが利かない時。磁石を頼
みに地図を必死に見る。あ、前提は路が無いか、雪の上と言う事です。そんな時に、ガスが動いてチラッとでもあたりが見えたら、どれだどれだ、今見えたのは此の尾根か、此のピークか、と必死其のもので有る。
 で、たまには間違えて仕舞うのだ。

 間違えた時は先ず不時幕営となる。斜面を
蹴飛ばして張る事も有る。藪を掻き分け張る事も有る。いずれにせよ、凄く楽しい夜を迎える事は間違い無い。
 上越の春山で支尾根を下って幕営した話は
書いた。雪のバケモノ沢の不時幕営もチラッと書いた。
 うーん、現在位置不明状態での幕営は、二
件だけしか思い出せない。外にも有ったかも知れない、としか言えない(酔ってるんで)。
 (地図でも濡れ放題~♪ その五へ続く)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

濡れ放題シリーズなので書いてます。悪戯っ子は小餓鬼生(え”、パンチミス)の頃にオヤジからシュナイダーやクルッケンハウザー流のスキー(ターンで沈み込み、ターンの切替で伸上がる。ヴェーレンテクニックと間逆)を教わりました。何でも赤ん坊の頃はスキー場のどこかに穴を掘って其処で寝ていたらしい。
小学生時代の道具はエッジ無しでバッケン(緩めると歩きやすい)の板にゴムの靴。木綿のパーカーはチャンと防水されるのだが手袋だけは駄目。雨の日などは靴の中もビチョビチョ・・ 手袋も濡れてチベタイのだ。不思議と足は冷たくないのは何故だったんだろう?
木綿のパーカーは長いこと使いました。後から気付いたのですがピステで転んで背中で滑っても抵抗があるので留りやすい事。ツルツルのスキーウェアは初心者向けでないということになる。八方尾根の第三ケルン(二時間も掛けて登る。下りは15分)からSTと毎年、滑り降りていました。ある日、登りながら「此処には青氷が露出してるから気をつけよう」と話していたのに其処でカラーンという音と共に、カール地形の斜面を滑落。幸いこの地形はU字型なので止りました。スローモーションの様に見えました・・・ その時、考えていたのは「あそこから担上げるのは一時間以上かかるので、レスキューを呼ぼうとか、止ったら声を掛けよう、でも声が届くかな」でした。でも葬式までは思い至りませんでしたね。

閑話休題
暫く前にケン様は一本指ライターと・・・ダスティン・ホフマンだったかな、人差指(中指かも。但し両手)で滅茶苦茶早くタイプを叩く新聞記者を映画で観ました。
ケン様が右手だけなのは左手に、お酒を持っているからと推察されます。

kenzaburou さんのコメント...

第三ケルンから15分で下れるとは、スキーとは便利なものですなあ。
滑落しても、無事なら何より、良い笑い話になります。尤も、稜線に戻るのは骨だったでしょうけど。