あたしはキーボードを右手の人指し指一本で打っており、家族からも呆れ果てられて居る。
でも、文章を考え乍ら打つので、あたしには丁度良いペースなのだ。モーツアルトが文章家なら、両手で凄まじい勢いで叩き続けて、尚且つ間に合わないのだろう。才能の差とは、如何とも為し難いもので有りますなあ。
会社で女性達の打ち込みを見ると、両手で偉い勢いで叩き続けて、速い事速い事、あたしなんざ、唖然と見るばかり。
で、文章と言う奴だが、中々勝手な奴で、どんどん飛び出て来る事も有れば、何処かに隠れちまって呼べども答えぬ時も有る。
酔ってる時(殆どそうだが)は雑に飛び出し放題、後で読み返すと、流石に唖然とせざるを得ない。余り酔って無い時にせっせと修正するのだが、修正じゃ追い付かず、バサっと消去せざるを得ない事も有る。
修正も飲み乍ら行うので、やがて酔いが回って来て、訳が分からなくなって行く、とは前に書いた。結局、酔っ払いのブログさ、ヘン!
全ての事柄がそうなんだろうけど、続けて居ると、自分の本性が嫌でも出て来て、どんな奴かが明々白々となるものだ。特に文章はそうなのでは?
従って前記の通り、文章の発表は精神的ストリップ、と称した訳だ。
あたしがストリップをしても、誰も喜ばないはとっくにご承知だが、ものを書くとは一応頭を使い、文章として出来上がる(出来不出来は別として)喜びが有る。
一応頭を使い、と書いたのは、あたしが様な書き散らかしたものは、殆ど頭は使われて居ないと思われるからだ。使われて居るのは右手の人指し指一本。何の自慢にもなりゃあしません。
文章を磨こうとして居る諸君は、一字一句もないがしろにはせず、無駄をとことん省く事骨身を削るが如き、と想像出来る。
勿論、あたしには其の手の努力や覚悟は、爪の垢程も無い。絶対に無い。唯、だらだら書いて居るのだ。大体、此れを読めば一目瞭然でしょう?
決して自慢にはならないですなあ。
吉村昭の文章は褒められない。何で?滋賀直哉は褒められるのに、文章の神様扱いされて居るのに。あたし的には、此の二人は良い勝負だと思うんだけど。
と、あたしと水準の違う事、月とスッポンの話を持ち出してどうしようってんだろう。
本来文章とは奥深く、且つ非常な努力を要するものだ。あ、其れは発表する文章の事で、人様に晒す限りは、磨きに磨くのが道理です。
此のブログは下らない文章で、悪い見本に使って欲しいが、何を言いたいかってえと、文章が上手い人は努力をしてるんで、下手なあたしは、グータラなんです(分かってるって?そうですか)。
2010年12月1日水曜日
休題 その五十四
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