十二の続きで芝居の話です。
そうは言い乍ら、打ちのめされた事が三度有る。
一つ目は未だに続いて居る「ラマンチャの男」、当時は染五郎と名乗って居た。見て、ふーん、と思った。翌日、重く心に残って居る事に気付いた。日一日と印象が強くなって行く。駄目だ、完璧なパンチを食らって居たのだ、とやっと思い至った。
続けて「シカゴ」を見に行ったが、ヘナチョコパンチがかすりもしない。同じ金額なのに何だよ!
二つ目はつかこうへいの「熱海殺人事件」。此れも後から効いて来た。本物は尾を引くのですなあ。
此の時も又紀伊国屋ホールへ別のものを見に行ったが、かすりもしない状況は同じ。
三つ目は野田秀樹の「透明人間の蒸気」で、前二つと同じ反応だった。ただ、流石に懲りたので、同じ劇場に外の劇を見に行くのは止めた。
「ラマンチャの男」、つかこうへい、野田秀樹には到底適わない。素直に負けよう。外はね、其れ程のもんじゃ無いさ(何たる思い上がり!)。
面白いもので、山頂に立って外の山を見ると、同高度の山は低く見える。同じ高さだと見える山は、こっちより高い。少しでも低い山は、ずーっと低く見える。
其れを基に考えると演劇では、同程度のものはずーっと低く見える。同じ水準と思えるものは、実際は遥かに高水準だ。程度が落ちる(比自分)ものは、豚の様に見えて、論の外だ!となる。
多分、当たらずと言えども遠からずだろう。何たって標高の様な絶対基準の無い世界だから、感じ方が全てとなり、好悪も加わって、独断と偏見が闊歩する、変な世界になっちまうのではないかと、思う。
変な世界から引き戻してくれる唯一のものが、客の反応なのだ。観客が舞台に入って来てくれて居るか、醒めて突き放して居るかは、一発で分かる。特に舞台に(袖でも)居れば良く分かる。観客の一人として見て居ても、良く分かる。
だから舞台は面白いし、恐ろしい。
下北沢の本多劇場に劇団の諸君と「カッコーの巣の上に」を見に行った。有名作品を、プロの演出でプロの俳優が演じたのだが、どうやればあそこ迄詰まらなく出来るのだろう?
観客は舞台と一体になれず、引いて居る。勿論、演じて居る人間にはビシビシと感じられる。脂汗を流し、必死に立て直そうとして居る。哀れだ。演出の所為なのに。
中年女性の声が響いた。小声で囁いたのだろうが本多劇場は音響が良く、皆に聞こえた。
中年女性「もう帰ろうよ」
役者は一瞬動きが止まった(と感じた)。
あー、悪夢だ!! 続きます。
2010年3月7日日曜日
柄でも無い事 その十三
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4 件のコメント:
市川染五郎の芝居は素晴らしかったでしょうね。歌舞伎の世界の役者と新劇役者とは比べものにならないでしょう。子供の時から、厳しい稽古をしてきて、実親では稽古が甘くなるからと、小さい時から他家に預けられて、稽古を受けて育つのですから。たちふるまいの一つ一つに意味があるような 本当の役者になるのでしょう。
野田秀樹 いいですね。けっこう年を重ねて、どっかの教授になっても、若いときからの毒が消えず、よく健闘しているようですね。
全く其の通りなんです!
日本で腹の有る時代劇を演じられるのは歌舞伎役者で、其の外はほんの僅かになってしまいました。
映画に毒されてシカゴ見に行きました。
6人の女囚は映画の勝ち
主役級の歌のレベルは舞台の勝ち
と、キャーキャーやってました。
ネットの衣装から垣間見るダンサーたちの肉体美は見事でした。
う~~~ん
舞台の良さじゃなく、単なるミーハーで見てますよね。ワ・タ・シ。
染五郎にツカに野田
チケット入手が大変な方たちですね。
いいですね~~~
見たいなぁ
チンクちっく さん、そんな事はありません。あたしだって最初からシカゴを見ていれば、それなりに楽しめたと思います。
ラ・マンチャの男が、素晴らし過ぎたのです。
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