2009年12月25日金曜日

一期一会の無言の会話 その四

FH000024

 

男「お!おじさん、ちゃんと着けて良かったな」
私「見損なうなよ、一緒に出ていれば一緒に着いてるよ」
男「どうだかね」
私「美味そうなもん食ってるな」
男「いや、急に食いたくなってさ」
私「はっはっは」
 そんなとこだろう。マイナーな所を船窪から来たのは二人だけというのが、変な連帯感を生んだのだと思う。男は槍へ向かう。私はブナ立尾根で下る。一期一会である。
 で、一期一会で無い場合の事。知り合いに会った事は何度も有るので、置いておく。夏山で赤石から下り、椹島の小屋で隣り合わせたパーティが有った。翌年の夏山でそのパーティに声を掛けられた。結構驚くものだ。
 冬の早川尾根を縦走した時、鳳凰で会った青年に、翌年の春の巻機山で出会った。これも驚いた。
 両方とも鍵は私の背負っていたキスリングだ。だって、当時でも背負っている人は珍しいんだもの。だから相手がこっちを見つけてくれる。山で出会った人と又会いたければ、旗を立てて歩くのが良いと思う。例えば「日本一」とか。次に会った時にも、相手が一発で分かるだろう。もっとも私は声を掛けないだろうけど。
 雪山でトレースをつけて進んでいると、向こうからパーティが来る。わー!うれしい!もうルートは確定するのだ。それにラッセルも不要になる。此処から先にはトレースが有るのだから。短い間に、それぞれの来たルートの情報を素早く交換し、あっさりと別れる。矢張り山は一期一会だ。
 藪をこいでいる時、そういう出会いが有っとしたら、下手すると抱き合って泣くかも知れない。もうこの先は縺れた篠竹を力任せにこじ開けなくて良いのだから。いや待って、ホームレス派のおじさんと抱き合って泣くのは、とてつもなく嫌だ。(あっちもそう言ってるよ!)
 幸いにもその経験は一度も無い。藪の中で物好き同士が出会うのは、多分地球軌道で、人工衛星の破片同士が出会うような確率なのだろう。人のうじゃうじゃ歩いている山は結構鬱陶しいし、人の全くいない山は好きだけど、矢張り、多少寂しくは感じる。面白いものだ。街に居れば山恋しい、山に入れば街恋しい。誰かの詩にあった。
 どこの山でも行き合う人が、イザという時の頼みの綱だ。え、地下足袋を履いたおじさんだって、あー、会ったよ、姫次で藪をくんくん嗅いでた変な人だろう。(ビンゴ!)
 そう、これで私は首尾良く助かるか、或いは、遺体を無事に発見して貰えるのだ。袖擦り合うも他生の縁(前述)、お互い登山者同士、さり気無く助け合いましょうね。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

なるほど!!! 雪山でトレースつけて進んでいるときに ラッセルして下ってくるグループがあったら、嬉しいものなんですね。なるほどなるほど。藪こぎだったら なおさらでしょうね。なるほど。なるほど。

kenzaburou さんのコメント...

嬉しいのです。地獄で仏に会う程と言ったら、言い過ぎですけど。

兎に角、ラッセルの苦行から逃れられるのと、ルートが確立するので、わー!と叫びたい程嬉しいのです。