相応しい写真、イラストが無いので失礼。
前の本棚には“風雪のビバーク”が有った。松涛明氏の登山記録を其の侭製本したものだ。此の本を著名なものにしたのは、遭難死の直前に書き綴った文章だ。
彼は冬の北鎌尾根をアタック中、友人の故障の為に行動出来ず共に死を迎える。加藤文太郎の最期に通じる。場所も同じ北鎌尾根なのだ。
辛くて読めない。でもご遺族の許可も得ずに引用したいと思います。ものぐさで御免なさい。
一月六日 フーセツ
全身硬ッテ力ナシ
何トカ湯俣迄ト思ウモ
有元ヲ捨テルニシノビズ、
死ヲ決す
オカアサン
アナタノヤサシサニ
タダカンシャ、一アシ
先ニオトウサンノ
所ヘ行キマス。
何ノコーヨウモ出
来ズ死ヌツミヲ
オユルシ下サイ
…………
サイゴマデ
タタカウモイノチ、
友ノ辺ニ
スツルモイノチ、
共ニユク
…………
我々ガ死ンデ
死ガイハ水ニトケ、
ヤガテ海ニ入リ、
魚ヲ肥ヤシ、又
人ノ身体ヲ作る
個人ハカリノ姿
グルグルマワル
鉛筆は指で持つ事は出来なかっただろう。手で握って書いたのだろうと思われる。
昭和二十三年の事だ。あたしが満一歳。本文や閑話と重複するが、何度でも書く。今なら無事に有元氏と共に、お母さんの待つ家へ帰れただろう。
当時の装備はコットンなので、何日か続いた雨(!)でテントもツェルトも凍って使用不能、雪洞暮らしとなるのだが、急峻な岩稜で雪洞を掘る場所は殆ど無いので、最悪の事態を迎えるのだが、今ならテントもツェルトも表面しか凍らないので、充分使用可能だ。
決定打はラジュース(石油を焚くホエブス)の故障らしいが、今ならガスなので、故障は考えられない。従って二人共無事だ。そうだったらどんなにお母さんが喜んだだろう。
六十年前の山登りは、本当の冒険だった。くどいが、装備は格段に良くなっても大自然は変わらない。お互い親を泣かさない様にしましょう(あたしには親は無しだけど)。
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