2009年12月2日水曜日

閑話 その三十六

 相応しい写真、イラストが無いので失礼。
 前の本棚には“風雪のビバーク”が有った。松涛明氏の登山記録を其の侭製本したものだ。此の本を著名なものにしたのは、遭難死の直前に書き綴った文章だ。
 彼は冬の北鎌尾根をアタック中、友人の故障の為に行動出来ず共に死を迎える。加藤文太郎の最期に通じる。場所も同じ北鎌尾根なのだ。
 辛くて読めない。でもご遺族の許可も得ずに引用したいと思います。ものぐさで御免なさい。

 一月六日 フーセツ
全身硬ッテ力ナシ
何トカ湯俣迄ト思ウモ
有元ヲ捨テルニシノビズ、
死ヲ決す
オカアサン
 アナタノヤサシサニ
 タダカンシャ、一アシ
 先ニオトウサンノ
 所ヘ行キマス。
 何ノコーヨウモ出
 来ズ死ヌツミヲ
 オユルシ下サイ
 …………
 サイゴマデ
 タタカウモイノチ、
 友ノ辺ニ
 スツルモイノチ、
共ニユク
 …………
我々ガ死ンデ
 死ガイハ水ニトケ、
ヤガテ海ニ入リ、
魚ヲ肥ヤシ、又
人ノ身体ヲ作る
 個人ハカリノ姿
 グルグルマワル

 鉛筆は指で持つ事は出来なかっただろう。手で握って書いたのだろうと思われる。
 昭和二十三年の事だ。あたしが満一歳。本文や閑話と重複するが、何度でも書く。今なら無事に有元氏と共に、お母さんの待つ家へ帰れただろう。
 当時の装備はコットンなので、何日か続いた雨(!)でテントもツェルトも凍って使用不能、雪洞暮らしとなるのだが、急峻な岩稜で雪洞を掘る場所は殆ど無いので、最悪の事態を迎えるのだが、今ならテントもツェルトも表面しか凍らないので、充分使用可能だ。
 決定打はラジュース(石油を焚くホエブス)の故障らしいが、今ならガスなので、故障は考えられない。従って二人共無事だ。そうだったらどんなにお母さんが喜んだだろう。
 六十年前の山登りは、本当の冒険だった。くどいが、装備は格段に良くなっても大自然は変わらない。お互い親を泣かさない様にしましょう(あたしには親は無しだけど)。

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