2009年12月8日火曜日

柄でも無い事 その七

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 岡山へも仕事で良く行った。岡山と言えば備前焼。駅の案内所で良い店は何処かと聞いら素備庵と言う店を紹介してくれた。駅から割と近いのも、其の理由だと思う。
 無用な心配だが一応断っておくが、宣伝じゃ無いですよ。以下はあたしの感じた侭で、一銭も貰ってません。これでOKだろうか。
 素備庵に一歩入って驚いた。デパートや土産売り場で備前焼は結構見たが、其れとは別の物が広くも無い店内にぎっしりと並んで居る。え、今迄見て来たあれは何だったんだ?
 同じ色合い、同じ感触、同じ雰囲気、火襷や牡丹餅は有るんだが、形は違えど皆同じ。一発で分かった。粗製乱造(失礼)備前焼だったんだ。ガス窯か電気窯でどんどん造る、従って皆同じ雰囲気。あたしにさえ分かるんだから、多くの人にも分かって、備前焼ったって、大した物じゃ無いなあ、と思われて仕舞っても無理からぬ。強いて言えば県知事の責任で、備前焼とは斯様な物と定むると、明確にすべきだ。偽者(失礼)を備前焼と思われて、岡山県にとっても良い筈は無い。
 素備庵に無造作に並んで居る品物は、デパートならば美術品売り場にしか無い物ばかり。値段は其れよりかは安いが、土産物屋とは桁が違う。どう見ても尤もなので、ビニールのカッパとゴアの雨具とは桁が違うに決まって居る。
 素備庵の主人は語る。熱く語る。
「松の木で焼くんです。そうしなければ備前本来の味は出せない」
 そうなんだ。知らなかった。
「名前が通って居るからどう、では無い。作品が良いか悪いか。皆さん、有名作家を追い求めますが、笑止!」
 うーむ、同感だ。
「私は真面目に備前焼に取り組む作家を応援します。アドバイスは惜しみません」
 そうでしょとも!元は、熱血高校教師で有った由、備前焼に魅せられて店を開いたとの事。今では備前焼の講師も勤めれば、若い作家の指導もする。あたしも何度も通って指導(?)を受けたが、そのような人は岡山県の宝、否、日本の宝です。
 あたしが力んでも意味が無い。
 素備庵以外で備前焼を買う気が無くなったのは、幸なのか不幸なのか。ま、今となりゃあ不幸で、もう岡山には行く事も無いから、備前焼が買えなくなっちまった。尤も金が無いから、どっちにしろ買えないので、幸だったとも言えますなあ。
 愚痴は置いといて、あの無骨で地味で変哲も無く見える備前が、夫々の色合い、個性、色気を感じる事が出来る様になったのは、素備庵のお陰で有る。
 備前が地味だ?フッフッフ、良い物を見て無いね。美術品売り場でも美術館でも、確り見て歩いて見なさい(え、地味なんて言って無い,自分が書いたんだって?失礼!)。備前もお薦めです!!

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