2009年12月4日金曜日

休題 その二十八

無題

 

 我が家の紋所は丸に一引き。分からない?丸に十の字は薩摩の島津の紋所で、十が一になったと思って下さい。
 両方共源氏の紋で、我が家も源氏なんだが、先祖は渡辺の綱(と言われて居る)、羅生門で鬼の腕を切った、頼公四天王の一人と言えば分かる人も居るだろう。頼公とは源頼光で、四天王で有名なのは坂田の金時、俗に言う足柄山の金太郎で有る。
 文化を大切にしないと、国民同士で話が通じなくなる。英語を教えるより国語を教えるのがマトモな考えで、今の風潮はマトモでは無いって事?そうだ!英語は必要なら使える様になる、戦後の売春婦を見ろ(古くて分からない?学校は何を教えてんだ!)。
 乱暴な話で失礼。でも幕末の侍達が欧米に行ったが、言葉なんざ全然分からんでも偉く尊敬された。心掛け、覚悟、使命感、誇り!全部今は意味の無い(或いは薄い)事柄になっちまって、自分の国も知らなきゃ、相手の国の文化も歴史も知らねえ、言葉だけは出来る、って事は戦後のパンパンを大量に創りたいのかよ!!!
 あ、又もや失礼!常の如く酔って居るんで済みません、話を戻します。
 源氏と言っても傍系の又傍系、渡辺と名乗って居たのは渡辺の荘を領して居たので、今の大阪市だ。大塚と名乗ったのは、其の渡辺の綱の傍系の傍系が、どっかの大塚荘にでも住み着いたからだろう。
 我が家の話はどうでも良くて、総本家源氏の事。
 直系は八幡太郎義家の家系だが、頼朝の孫の代で途絶えたので、義家の弟の新羅三郎義光の家系が跡を継ぎ、其の直系が甲斐の武田家なのだ。傍系としては島津、南部、小笠原と多彩で有る。詰まり武田信玄は源氏の統領なので、当然乍ら天下を治める使命が有ると思って居たのだろうとは、当然思い当たる。でも、あくまで私見です。
 信長が天下を目指して居たと偶に読むが、多分、美濃、伊勢、近江を手に入れた頃からチラッと思い始めた、と考えるのが正解ではないかと思う。其れでも未だ周囲は強敵だらけだった訳なので、浅井、朝倉を滅ぼす迄は夢想の状況で有る。
 一方信玄は、本気で京に登り天下を平定する気だった様だ。唯、上杉謙信が居たもので、常に彼を牽制する策を打たねばならず、苦労です。謙信公はご承知の通り、自ら毘沙門天の生まれ変われと信じて居た戦の天才なので、信玄も頭が痛い話で有る。
 前述だが、労咳の身では残り時間が少ない。労咳なのでデップリ太っては居ない。従って有名な信玄の肖像画は間違いなのだ。
 やっと、謙信を動けなくし、信長も多方面に兵力を割かざるを得なくして(なまじな戦略家では無い)、三万近い軍勢で京を目指す途次に病没し、無念とあたしは思うのです。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

KENZABUROUさんのご先祖は 強いお侍さんだったんですね。そうですか。武田信玄は、京都で天下を取ろうとしていたのですか。

そうそう、若いもんがたくさん英語を話せるようになりたいと言って ここにも 沢山やってくるのですが、日本語で自分の考えを ちゃんと言えない 言うだけの意見を持っていない若いもんが、英語を習っても なにも話せない、何も意見を言えないのですよね。困ったことに、、、。

kenzaburou さんのコメント...

ね、そうでしょう、言葉は必要が有れば、嫌でも覚えるものです。コミュニケーションの目的も無く、言葉だけを覚えるのに、何の意味が有るのでしょう。
日本では小学生から英語教育を始めそうですが、おいおい、それより日本語をちゃんと教えろよ!と思います。