2009年10月22日木曜日

休題 その二十五

店 043

 

 有りもしないと気付いた感性の話で、ボロボロなんだからアンタッチャブルで良いのに、とは我乍ら思うのだが、足掻くのです。
 本の話で、戦争と平和が駄目だったら次を試さなければあたしは納得出来ないので、大好きだった安部公房の、其の中で一番好きだった「けものたちは故郷をめざす」を手に取って、半分で置いて仕舞った。う、う、詰まらない……、詰まらない筈は無い!あたしゃあ三度読んで三度感動したんだ、でも駄目。
 坂口安吾はどうだ?読めた。「堕落論」だから小説では無いかな?山本七平も面白く(と言うより真剣に)読めたが、勿論小説では無い。彼については改めて語りましょう。語って語って語りつくせないだろうけど。
 小説とはあたしに取っては怖い部門なのだ。中学の時に国語の先生が言った。「夏目漱石を読め、人生が変わるぞ」真面目(今よりです)だったあたしは読みました。倫敦塔から明暗迄、全巻を買い揃え、三度も全て読んだ。人生は全く変わらず、ご覧の通りの馬鹿人生、へへへ(涙)。
 唯々面白く無かった。自分の所為だ、俺に何か分からん処が有るんだろう、と頑張ったが、自分は偽れない。結論、詰まらん!絶対詰まらん!
 で、我輩は猫である、と坊ちゃんを除いて(此れは面白かった。でも、先生の意図では無い筈)皆捨てた。後悔なんざする筈も無い、詰まらない本は捨てる、当然だ、はっはっはっは。
 話を戻そう。しばれんの三国志(全六巻)は文句無しに面白く読めた。因みに三国志で一番詰まらなかったのは吉川英治で、捨てた。一番面白かったのが三国志演義の直訳、岩波文庫で、粗い表現の裏を、じっくりと読み取れる。とっくに絶版だろう。
 じゃあカミュはどうだ。ペストを読んだが引き込まれる。うーん、此れも人が死ぬ話か。ではおっとりしたとこで宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」に手を伸ばした。宮沢賢治には何の抵抗も有りゃしない。昔通り、否、若い頃より同感した。
 処でカミユのペストは深い。極限状態の人間はさも有りなん、と思わされて仕舞う。と言うより、人は如何に生きるかと言う命題と、妥協を排して格闘して居る。神でも無く共産主義でも無く(当時は重大課題だった、様だ)人間としてで、それも淡々と描くのは並では無いと今更乍ら思い知らされた。
 大体分かって来た。志賀直哉も駄目だろう。島村藤村も絶対駄目に決まった(失礼)。堀辰雄は読めると思う。
こうなりゃあギリギリの状況か、とことん綺麗な心情しか受け付けないのだろう。うーん、本当にそうなのかなあ?我乍ら自らを疑って仕舞うのが情無い。
 此れは名作と折り紙付きでも、相性が有って、そうは思えないと言う奴が居ても不思議では無い筈で、おまけにそいつが還暦を過ぎて居たら、そうだね、好き好きだもんね、とあたしなら言って上げます。(自己弁護に聞こえるって?当たり!自己弁護なんです)

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

何でも よく読まれて居られるのですね。わたしも「戦争と平和」のような ロシア文学や長編大河小説が大好きでしたが このごろは、だんだん小説のような つくりものの世界が嫌いになってきました。評論とか、ドキュメンタリーのほうが、すんなり読めます。きっと、感性が鈍ったのではなく、年とともに情感がより深く 複雑になってきたのだと思っていましょう!!!そうしましょう。そうしましょう!!! (いつまでも能天気)

kenzaburou さんのコメント...

全面的に同意します。

そうです、より深く複雑になったのです。えっへん……。