2008年12月26日金曜日

悲しいラーメン その二


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                                                                                                       畦ヶ丸は双頂で、三角点の無い頂に避難小屋が有る。二十歳の春に六日間丹沢に入り、五日間は雨だった事がある。その時この小屋に停滞、二泊した。入山二泊目と三泊目だ。
 勿論誰一人居ないし来ない。一升瓶に水が有り、ノートに汲んだ日付が書かれている。セロリとマヨネーズも有り、割と新しい。喜んでばりばり食べたが、実に美味しかった!それ迄はパンと即席ラーメンと餅ばかり食べていたんです。
 ストーブで薪(用意されていた)を燃やし、濡れれた一切を乾かす。生き返るような、静かな二泊だった。当然ながら中日(なかび)には、雨に打たれながら大滝峠から北に下り、沢の源頭で一升瓶を満タンにして、ノートに日付を書いておきました。登山者の仁義で有る。
 語る相手がいないので自分と語る。何を語ったのか、全く覚えていない。どうせろくでもない事だったのだろうと想像できる。
 去年(平成十七年現在)、その懐かしい小屋に泊まった。変わらずに綺麗な侭だった。最近は山でゴミを見る事が少なくなった。嬉しい事に、確実に登山者のマナーは向上していると、感じる。畦ヶ丸の小屋も、何時までも綺麗でいて貰いたい。翌朝掃除をし、一礼して去りました。
 畦ヶ丸は展望が無い。その代わり、木々と鳥の囀りが迎えてくれる。新緑は鮮やかで、秋の黄葉も地味な味わいが有る。冬枯れの木立も捨てがたい。夏は……、悲しい思い出が有るのだ。
 十六歳の夏、Oと焼山から入山し、蛭、檜洞と歩き、犬越路を下って幕営し、白石峠へ登り返し(何でそんな無駄な登降をしたんだ?子供の考えは分からん)、相甲国境線を歩いて畦ヶ丸へ着いた。小屋は未だ無い時代。暑い日で、地面はからからに乾いていた。
 缶詰の燃料(今はまず使わない。小さいのを旅館で鍋料理に使う)に太い枝を二本渡し、飯盒を乗せ、ポリタンの水でラーメンを煮たのだった。もうできるかという時、タイミング良く枝が焼けて飯盒が転がり、スープはあっという間に地に吸われ、一塊のラーメンだけが地面に残った。独特の風景で有る。私とOは顔を見合わせたが、覆ラーメン飯盒に帰らず、とても悲しい。その上腹が減って、とても辛い。
 皆さんは決して燃料に枝を渡し、その上で煮炊きなんて馬鹿な真似は、しないで下さい。(え、そんな馬鹿はお前だけだって?)
 それは兎も角、畦ヶ丸は夏も良い山で有る。ひぐらしが、煩い程、鳴きますよ。

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