2008年12月24日水曜日

悲しいラーメン その一

 FH000075
 又あっちへ飛んでしまった。畦ヶ丸の話
なのです。
 今は東海道自然遊歩道のコースになって、
(前は大滝峠から巻き道だった)知る人の
多い山になった。昔はマイナーな、余り人
の訪れない静かな山だった。
 畦ヶ丸の“丸”は、丹沢に多い。ピーク
を表す古代朝鮮語が語源だとの説が有るら
しい が、私には分からない。桧洞丸、東
丸、西丸ブナの丸(菰釣山 )、椿丸、大
タル丸、大 丸、小丸、シャガグチ丸、と
結構有る。
 畦ヶ丸は西丹沢からり、大滝峠経由で下
る(或いはその逆)が良く使われるコース。
 山仲間のS、K、及びそのお仲間達は、
私に何度となく大山東面の藪の中を引き回
され て、すっかりボロボロになっていた
が、このコースに行った時には、凄く喜ば
れた。
S「おい大塚、丹沢にもこ
 んな良いとこが有ったんだな」
K「おう、本当だ」
S「丹沢も捨てたもんじゃないな」
K「そうだよ」
 誤解をさせた私も悪いが、ひどい誤解だ。
丹沢は全て良いとこなんだよ!ちなみにこ
の Kは、滑落して死に掛けたKである。
 このコースは、行きも帰りも流れに沿っ
た路になり、目を楽しませてくれるのだ。
それに藪が無いので喜ばれたのだろう。ま、
普通は藪を歩かさないもんだよね。
 妻と登った時は新緑であった。三つ葉ツ
ツジがあちこちに咲いていた。山頂には三
パー ティがいて、満員状態だった。流石
に新緑の季節は人気が有るのだろう。隣の
ピークも人 だらで、笑い声がこっちに迄聞こえて来る。人で一杯の畦ヶ丸は、後にも先にもその一 回きりで、何時もは大抵シーンとしている。
 二昔前(これからも多用する表現、一昔で十年、つまり此処では二十年前)西丹沢か ら吊橋を渡り畦ヶ丸へ向かった。下棚(下棚沢の大滝、丹沢では滝を棚と呼ぶ)を覘こう と、沢に入り踏み跡を行くと、カーブ地点に赤いローヒールの靴が揃えて置いて有る。即座 に向きを変え戻りかけた。
 当然ですよね。その先には木に吊り下がった女性か、滝壺にぷかーと浮く女性がいる訳 なんだから。その人が元気で、街中で会うのはヤブサカではないが、こんな人気(ひとけ)も 無い山の中で、元気でもない姿にお目に掛かりたくもない。(処で何故自殺者は靴を脱 いで揃えて置くのだろう?どなたかご存知ですか)
 でも足を止めた。ここで逃げたら余りに薄情だ。靴が有ったと警察に言う訳にはいかな いし、確認は通りかかった者の義務でしょう。覚悟を決めた。それに、上手くいけば彼女の 決行寸前に救出の可能性も有る。
 恐々と進んだ。林を透かして見ながら、草の中にも視線を走らせる。腰が引けていて即 逃げ出せる体制が、我ながら情無い。でも何も無い。滝の音が高まって来る。鼓動も高 まる。滝が姿を現す。状況が状況なので、見慣れた下棚がやけに不気味に感じられる。
 滝壺にビクビクと近づき、首を伸ばして覗き込む。綺麗な底には何も無い。え、と気が抜 ける。戻りながらも探したが相変わらず何も無い。靴はちゃんと揃えて有る。一体何だった んでしょうね?
 私には見つけられなかっただけだと、今でも思っている。きっとその人は、何処か見えない
場所に居たのでしょう。或いは今でも。 (悲しいラーメン その二へ続く)

0 件のコメント: