2008年12月22日月曜日

ガレと草鞋の銀座歩き その三

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 鎖場から登ると書策(かいさくと読む)小屋が有る。此処では立ち止まらねばならない訳が個人的に有る。今は休業中とな
っているが、再開されるのだろうか?
 親父は美味いコーヒーを入れてくれた。書策新道も一人で切り開いた。水道水を6リットル程担ぎ上げたら、「 何だ、水道水だって?そこに入れといてくれ」と、ポリバケツを指した。洗い水にする訳だ。畜生め、拘りが有る親父だった。老いてしまってからは、コーヒーも入れられなくなった。
 妻とセドノ沢を詰めた時だ。ルートを取り違え、変なザレ尾根とボサに散々痛めつけられた末、登山道にやっとの思いで這い上った。妻の草鞋は奮闘努力の結果、開き切って藁がはみ出し放題の姿であった。しかも泥まみれで有る。録でもない亭主を持つとそんな目に会うのですぞ。
  話はそれるが、草鞋の話続きなので、勘弁して下さい。その別の時は、妻と新茅ノ沢を詰めて、烏尾で冷やし中華を造って食べた(美味しかったですよ)。烏尾尾根を下っていたら、脇で五、六人の高校生と若い先生(多分)が休んでいた。先生は私の地下足袋を見て
先生「あれは地下足袋だ。昔は山歩きに使ったんだぞ」
生徒達「ほー」
私の後から、草鞋の妻が降りて来る。さて何と説明をするだろう。(ワクワク)
先生「……」
生徒達「……」
 コメントは無かった。草鞋は想定外だったのだろう。
 セドノ沢に戻る。妻と、ボロボロの泥まみれで書策小屋に入り、ビールと言ったら無いと言う。じゃあコーヒーと言うと、ポットとネスカフェーの大瓶を出した。な、何だこりゃ!前は豆を挽いて薫り高いコーヒーを出してくれたじゃないかよ。しかも値段は同じだ。これじゃ潰れるぞ親父、しっかりしろ!壁には自分の新聞記事が一杯張ってあり、得意げに説明するのだが、コーヒーをどうしてくれるんだ……。
 それからは、通るたびに気にはなった。営業はしてるようだが、客はいなかった。売る物が無いのだろうから、当然だ。
  数年たって、Yと通りかかった。ハイカーが小屋の周りに休んでいる。小屋の戸は半開きで、親父、生きてはいるなと、ホッとした。すると、離れた便所から杖をついてよろよろと親父がやって来た。あ、親父だ。
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Yに言った。「 悪いが、親父の姿を見てしまった限りは、寄るぞ」 例によってビールは無い。コーヒーはネスカフェー。しかも湿気って、半分固まっている……。
親父「うどんしか食べられないんだ」
親父は歯が一本しか無い。
親父「昨日行水していたら、急に雨が降って、
いや、息が止まるかと思う程冷たかった」
Y「それは辛かったでしょう」
 もう山を降りろよ親父、死ぬぞ。
私「荷揚げはどうしてるの?」
親父「皆がやってくれてね」
私・Y「……」
 もはや営業小屋ではない。自分の記事の説明も無かった……。
 外の小屋で聞いた。書策の親父はいくら説得しても山を降りず、ここで死ぬと言い張る、と。首尾良く死ねただろうか。多分多くの人を煩わして、降りた事だろう(最近分かったが、県警のヘリが出て無理やり下ろしたとの事)。苦労された方々は、本当にご苦労様でした。その方々には申し訳ないけど、親父は本望だったろうと、私は勝手に思います。
 書策小屋から新大日までは、ほんの一登り。一旦下って登り返すと木の又小屋だ。何度か立ち寄ったが、こじんまりした落ち着いた小屋で有る。
 木の又小屋からが表尾根のハイライトだ、短いんだけど。塔の頂上は目の前、左は深い水無沢、右には三ツ峰の姿。しかも登山道は清冽で、風も大概は強く吹いている。ここだけでも、見に行っても損は無い。決して期待を裏切らない、筈です。

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