2009年6月3日水曜日

閑話 その二十二

店 024


 冬(或いは春)の上高地は、昔々は聖域だった。入るには飛騨側から西穂小屋を経て下るか、沢渡(さわんど)から釜トンネルを越えて歩くしかなかった。冬の釜トンネルは氷に覆われツルツルの難所だった。しかも出口は雪崩多発地点で危険此の上無しの有様、従って冬(或いは春)の上高地は一部の登山者のみが足を踏み入れる場所だったのだ。
 春の奥穂を目指して、大きなキスリングを背負い、上高地の遠かった事。汗が滴り落ちる。それだけに大正池の見えた嬉しさは表現不能、やっと来れた……。
 時代は移る。今は釜トンネル直下迄車が入れる。釜トンネルも整備が成って、デコボコでは無い。雪崩止めも完備、冬でもどうぞ!
 一昔前(釜トンは未整備だったが)からそうなった。散策の人がゾロゾロ居る。写真教室の一行が彼方此方に三脚を立てて居る。温泉ホテルさえ営業して居る。最早聖域では無い。神々は穂高にお移りになったのだろう。
 悪い事では無い。あの景色を写真でなく見る事が出来るのだから、素晴らしいと言うべきだ。
 と言いつつも、何処かに一寸と寂しさを感じるのは、あたしが半端な登山者の証拠で、本物の登山者にとっては上高地は単なる入り口で、本命は穂高。上高地が人で溢れて居ても何の問題も無い。あたしでも、夏はそうなんだから。
 Nに言わせりゃ「アブローチが短縮されて助かるよ」位のものだろう。「出来たら冬の上高地へバスを走らせて欲しい」と言うかも知れない、いや、きっと言う。
 時代の移りとは、Nの台詞でさえ甘いのだ。夏、Bと北穂に登って居る時、引っ切り無しにヘリが来ては去って行く。涸沢に荷揚げをして居るのだ。すると一機のヘリが高度を上げ、休んで居た我々の真ん前へ来てホバリングする。
 あたしとBは立ち上がり「何だ、何だ」と驚く。当たり前ですよね、ヘリとお見合いだ。
 ヘリはくるっと向きを変え、涸沢に下り二人の客を下ろして去った。え、あの二人は荷揚げのヘリに便乗したんだ。
私「幾ら払ったんだ」
B「分からん」
私「幾らなら払う?」
B「払わん」
 Bはそういう奴だ。あたしゃあ払うよ!一万円なら。まあ絶対一万円じゃ乗せてくれないだろうけど。
私「今来たのは、登山者が居ますとか言って見せに来たんだな」
B「動物園の猿って事か」
 Bよ、悪く取るな。翌日あの二人が登るルートの下見を兼ねて居たのかも知れないぞ。
 今はスキーの世界でも、ヘリで上に行くのは当たり前で、あたしの様な旧人は、唯々驚くのみなのです。

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