2013年4月9日火曜日

思い出す侭に馬鹿な話 その三





 下車した近くに公衆電話が有ったのは、不幸中の幸いで有った。三ヶ木からタクシーを呼び、青根は遠いので焼山入り口迄行って貰った。Yは一言も責めたり、文句を言ったりしなかった。Yよ、改めて御免なさい!
 処で三ヶ木のバスターミナルと言えば、これまたYと一緒に青根方面のバスを待って居た。此の時は夏だった。何と、中央アルプスで苦労を掛けたZがバスを待って居た。彼は外の仲間とキャンプへ行く途中だったのだ。
 キャンプなんざ止めて一緒に蛭へ行こうよ!と誘ったのだが、勿論そうも行かず、途中迄のご一緒でした。
 S、Kと一緒に蛭の小屋に泊まった時も、似た様な経験をした。渋沢から大倉へのバス停に、高校同期生のImが外のパーティの一員として、バスを待って居た。卒業以来三十数年振りの再開だ(私にとっては。S、Kは同窓会で会った事が有るそうだ)。
 三人掛かりで、我々と蛭に泊まろうよ、と口説いたが、彼は日帰りの予定だ、そうは行くもんでは無い。此の時も途中迄のご一緒になった。来りゃあ良かったのにさあIm君よ。
 随分前に、冬の仙丈岳をアタックし、北沢峠のテントを撤収して、今は無き丹渓山荘へ下って泊まった、と書いた。
 其の日、もう日も暮れる頃に一人の青年がやって来たのだ。雪用の長靴を履いた地元の青年だった。小屋の親父が聞くと、甲斐駒に登りたいと言う。親父は「ぜってえ駄目だ!何の装備もねえずらよ。あんたからも言ってくれよ」と私に振るから、一応止めた。
 結局青年は諦めて、一泊してから私と帰る事になった。さぞ無念だっただろうが、幾ら地元信州の青年でも、冬山が初めてでは仕方 が無い。
 さて、問題は帰りの川原歩きだ。ツルツルの道で有る。山岳会でも一回転んだらビール一本、と賭けると聞く。そして皆さん転ぶとも。私も転んだ。ビール三本は行った。
 彼の青年は転びもしない。無様に転ぶ私の姿を見て、こんな奴の言う事を聞くんじゃなかった、と思って居るに違いない、と思う私は惨めで有りました(又々々涙)。
 (思い出す侭に馬鹿な話 その四へ続く)

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

冬の甲斐駒ケ岳、きれいだったでしょうね。地元青年、登れなくて、本当に残念だったですね。でも、次回、ちゃんと装備をつけて、きっと登坂成功したことでしょう。そして、経験者のアドバイスって、いかに大事だったかを知ったことでしょう。
教訓って、後でしか、わからないんですよねー!(感慨深く、、、)

kenzaburou さんのコメント...

そうなんですよね。
「後悔先に立たず」と言う位ですから。