2013年2月28日木曜日

休題 その百五




 あたしゃあ、通勤電車に乗らないで済む身分になってから、一年数か月が経過した。決っして良い事では無いのだろうが、あの混んだ電車に乗らないで済むのは、とても嬉しい!
 普通の時は良い、我慢しよう、お互い様だ。たまに、人身事故と言う事で車両が止まる。動いても、すぐ止まる。次の駅に着くと、血相を変えた諸君が、どっと入って来る。皆さんご承知の修羅場で有る。
 座席の前の吊り輪の位置、詰まり最前線の諸君は吊り輪なんざ捨てて、網棚に両手で乗客の体重を受けるのだから、腕はブルブル震えて居る。たまに崩れ落ちる人が居るけど、当然の事だ。
 JRも私鉄も、はっきり言えば良いのだ。「今日も又、自殺者が飛び込みましたので、暫く止まります」
 勿論全部では無い。でも、朝の人身事故と称して居るのは、まずは自殺なのだ。特にJR中央線が自殺路線なのは、多分、殆どの通勤客は知って居る筈だ。
 あたしの友人に京王電鉄の車掌を務めあげた男が居るが、ホームの端の挙動不審な人間を見ると、ピンと来るそうだ。俗に言う躊躇い傷、飛ぼうとして躊躇ったのだ。
 即駅へ連絡を取り、駅員に其の人間を抑えて貰う。殆ど誤り無く、自殺しに来て居るのだそうだ。
 死んだ方が楽だと思える程辛い目に会って居るから、自殺するのだとは分かって居る(積りだろうとも、分かっては居る)。死ぬな、と言っても聞いては貰えないだろう。だったら、せめて人に迷惑を掛けない方法で死んで貰えないだろうか?
 え、余りに酷い言い方だ、死ねと言うのと同じだ、お前なんざ人非人だって?そりゃあ確かに酷い言い方だろう。人でなしの発言だろう。 其れは認めざるを得ません。。。
 でも、そう思って居るのは、あたし一人だとはどうしても思えないので、敢えて書いて仕舞いました。従って、物事を美しく有りたいと夢想する人々に(もし居たらですけど)、現実を突き付けちゃう確信犯なのです。

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