2012年8月26日日曜日

クソ面倒な話 その五十



 漢はご存知の通り、やがて三国に分裂し、晋が統一するが、其の頃迄、北方の匈奴と南方の漢の二大帝国は、平和共存を続ける。
 正確に言えば、匈奴は前漢末に東西に分裂し、西匈奴はカザフの彼方へ追われ、残った東匈奴は後漢時代に南北に分裂、北匈奴も西へ追われ歴史の舞台から去った。
 南匈奴は後漢に臣属し、辺境防衛を受け持ったのだ。詰まり、遊牧民が中華に身を置く始めで有る。杉山氏は、歴史転換と言う。
 其れから大分経って、欧州にフン族が出現し、ゲルマン民族の一部族のゴート族が押し出されて、ローマ領内に進入し、ローマ帝国滅亡の引き金になったが、フン族こそが西進した匈奴だと言う説は根強い。
 魅力的な説では有るが、文献が無い為証明不能だ。状況証拠は充分だが、直接証拠は無い。再審請求に依り無罪を勝ち取るパターンで有る。
 話を東方世界に戻そう。杉山氏の言う歴史転換とは、以降中国には匈奴系の国家がチベベット系国家が続くからで有る。五胡十六国の時代で有る。匈奴系だって?南匈奴の劉淵が始祖の新漢は分るが、隋・唐へ続くのは拓跋氏なのでは?
 尤もなご指摘で有る。
 匈奴とは民族名では無く、どちらかと言えば国家名なのだ。民族で言えば、チュルク・蒙古族となる。当時はチュルクと蒙古は分けられない。一つと言っても良いのだ。そして、拓跋族もチュルク・蒙古族なのだ。
 拓跋は鮮卑族(そら来た、又ひどい字を当てて居る)の一部族なのだが、其れが、暫くは中国の中心勢力となって、唐帝国の滅亡迄続くのだから、馬鹿にはならない。
 詰まり晋は出来たとたん(歴史的スパンで)に南へ追われて、地方政権に落ちぶれ、中央から北方はチュルク・蒙古族の政権が続いたのだ。そして、隋・唐帝国を築くに至る。
 中華思想では決して容認出来ないだろう。粉飾決算の書類が山積が、中国の歴史なのだ。併し、チュルク・蒙古族の歴史に、とても近いのが真実だ。歴史は真実が基本では?
 現在の中共は漢族の王朝です、念の為。

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