2012年8月18日土曜日

何処から入ろう その一




 冬山入門の本で、初っ端に取り上げられて居たのが、丹沢主脈だったとは「冬の丹沢」の章に書いた。冬山でなくとも、山の入門と言えば、東京付近では丹沢か奥多摩と、相場は決まって居た。多分今でも、其れは変わらないだろう。
 何たって近い。其の癖両方共偉くマトモな山で有る。でも、沢をやる諸君は、一も二も無く丹沢にやって来た。初級から上級迄、お好みの沢が取り揃って居るからだろう。
 ザイルを肩に女物の下駄を突っ掛けて沢に入って行くのが、当時のお洒落だった様だが、流行りものは廃れもの(はやりものはすたれもの、念の為)、今ではそんな姿を拝む事は出来ない。一体何時の話なの?はい、五十年前です!
 半世紀前だと、馬鹿ああああ!!! はい、済みませんです……。
で、沢好きの諸君は、次段階には谷川岳を目指すと、決まって居る訳では無いが、そうなった様だ。空前の遭難ブーム(嫌な言葉だ)を、彼等が担った訳だ。我乍らひどい言い方ですなあ……。
 でも、象徴的な遭難が有る。昭和三十五年九月、谷川岳一の倉沢の衝立岩上部(コップ状岩)で助けを求める声が有った。当時の衝立岩はやっと初とはん(変換不能)されたばかりだった。従って近づく事すら困難だった。今の様な高度な技術なんざ無い、自然と自分が、全ての頃の話だ。
 やっと近く迄登って分かった事は、既に二人共死亡して居る事と、中吊りになって居る事だ。しかし近づけない従って遺体の収容は出来ない。
 結局、対岸から自衛隊の狙撃隊が千三百発の銃弾を撃ち込んで、やっとザイルを切断し、落下した遺体を収容した。
 (何処から入ろう その二へ続く)

4 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

このときの 谷川岳の 遭難者の宙釣りのシーンは 忘れられません。ものすごい恐怖感で、震えながらニュースを見ていました。昭和35年だったんですねー。(遠くを見つめる目で、、、。)

kenzaburou さんのコメント...

其の通りの、偉い昔です。

今なら人工登はんで、簡単にこなせるのですが。
昔は何でも命がけ、何だか充実はしてました。でも、遭難者のご家族には、嫌な時代だっただろうと、思います。

匿名 さんのコメント...

スキーでは概ね普通の人は、20度を超えると崖にがけに見える。スピードは時速、30km/hで恐怖感を覚えるらしいです。
でも滑降競技の瞬間最大速度は女子で200男子は210~220ぐらいらしいのです。
フィンランドやノルウェーの女子が勝てないのは実はお尻が大きすぎなのです。
冬季オリンピックが楽しみですが、何処でやるんですかね???
地上波デジタル以来、TVを見てないので知りません。勿論、新聞も読みませんねぇ・・・
    悪戯っ子拝

kenzaburou さんのコメント...

スキーでは20度で崖に感じますか。
山だと45度超で崖の様に感じます。
冬のオリンピック?さて何処でしょう。あたしにゃあ全く分かりません。