2012年8月21日火曜日

クソ面倒な話 その五十



 古い文献に拠るしか歴史は読み解けない。其の文献の有るのは、エジプト、メソポタミア、ギリシャ・ローマ、ペルシャ、中国。広大なユーラシア(エジプトは違った)の80%は、文献的には空白地帯で有る。
 実際は空白の筈は無い。残された文献から其の空白地帯を、埋めるしか無い。其処は騎馬民族とも、遊牧民とも称される民族(?)とオアシス国家、或いはオアシス都市の世界で有ったらしい。残念乍ら彼等は文字を持たず、従って実態を書き残して居ない。(え、当たり前だって?失礼しました)
 東アジアに絞ろう。頼るは中国の文献のみ。勿論、中華の国で有る。あらゆる粉飾を行って、自国の正当性を保って居るだろう。裏を読まなければならない。
 あたしには読めない。でも、読んでくれる人が居た。杉山正明氏だ。彼は凄い、シャーロックホームズ並だ。越えて居るかも。
 ご承知の通り、中国の始めての統一王朝は秦で有る。だから英語でチャイナなのだ。では、支那(漢字にしたのだ)の何処が悪いの?
 危ねえ危ねえ、話があっちに行っちまうぜ。で、秦が陳呉の反乱からあっけ無く滅び、漢の劉邦と楚の項羽の闘いとなって、漢の劉邦が勝利して三百年を越える大帝国を(間に僅かに新が入るが)築いた、とあたしは習った。
 杉山正明氏は、違うと言う。劉邦は北方の大勢力で有る匈奴と、覇を争わねばならなかった。結果大敗して和を請い、匈奴の属国に甘んじた。
知らなかった。でも漢書を読めばそう解釈せざるを得ない。目から鱗だ。で、七代皇帝の武帝に至って、匈奴との本格的戦争に入った。
 ところで、匈奴とは酷い字を当てたものだ。中華思想其のものだが、日本でも未だに有難がって、卑弥呼なぞと言う蔑称を押戴いて居るが、相手が勝手に当てた字なのだ。無視して、別文字かマスコミの大好きなカタカナにして見たら如何なのかなあ。
 武帝と匈奴の戦いは五十年近く続いた。其れも全面戦争だったらしい。世界史的にも例が無いのでは?欧州の百年戦争と言っても、たまに戦闘が有る位のものだったらしい。
 こっちは力一杯戦って五十年、従って双方疲弊した。武帝が亡くなったら、即座に漢からの申し入れに依って、講和が結ばれた。
 併し、其のつけ(五十年戦争)は余りに大きく、両帝国共に衰退へ向かって行く事になるのだ。知ってました?続きます。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

8000年前に初めて文字が出来ました。勿論チグリス・ユーフラテス文明。
全ての文化・文明はその後です。
東アジアにはタイ語、マレー語が文字を有していて(多分、日巫女以前)、恐らくジャワ語にも文字がある様な気がします。

kenzaburou さんのコメント...

仰る通り、タイは印度のサンスクリット語の流れですので、古いです。
ただ、マレー語はアラビア文字の流れですので、イスラム化してからのものでしょう。

因みに 日巫女 此れが正しいですよね!