2010年10月30日土曜日

雪山の喫茶店 その二

 私の四国の叔父もニューギニア帰りだった。
 相撲取りの様ながっちりした男が、ゲソゲソに痩せて帰って来たそうだが、四十過ぎ位で亡くなった。マラリアに苦しめられ、キニーネの副作用で寿命を縮めたのだろう。
 えーと、此れも説明が必要だろうけど、当時はマラリアにはキニーネしか対処しようが無いのだが、副作用が大きいのだ。それでもキニーネを服用出来た兵隊は幸せだ。殆どの兵隊は、薬に接する事も無かった。
 帰って来れただけ良かったですよね、叔父さん。叔父さんの部隊の殆どの人は、帰れなかったんだから。
 人が人を食う。大岡昇平の野火の世界だ。人を食った奴は何時でも何処にでも居るが、本当に人間を食べた事。小説はフィクションだが現実はフィクションでは無く、当然有った事だ。
 ニューギニアで、補給を断たれた大隊が一ヶ月戦闘を継続したあげく、無断で撤退して偉く非難を受けた。本来は軍法会議物だろう。だが、戦線自体が其れ処じゃ無くなって、ウヤムヤになった。
 当時の参謀に聞く(もしも生きて居て、此れを読んで居れば)。
 補給を断たれた部隊に、撤退と降伏以外に何か選ぶ方法が有るのか?全部死ねってか。じゃあ、あんたから死んで見せたら如何。暴 論?まあそうね。
 其の部隊が無断で撤退したとして、其れを許せないとしたら、其の状況に追い込んだのは、疑いも無く貴方方参謀の責任では無いの か?
 食料無く、武器弾薬無く、尚且つ戦えと貴方が言うならば、一緒に其処に居て、一緒に死ぬべきだ。処で其れに何の意義が有る?

 答えを待ちましょう。

 答えが有る筈無いやなあ。数少ない元参謀がこんな愚ログを読んでっこ無い。其れは知っての上です。でも、万が一って事が、世の中には有るので。
 其の部隊はどうやって一ヶ月戦えたんだろう。散々砲撃した後に歩兵が来るのを狙撃し、武器弾薬食料水を奪うのは当たり前で、敵の死体を引きずり込んで、解体して食料とした(と推測されて居る)のだろう。
 米軍は異様に其の種の行為を嫌い、該当者を死刑に処したが(フイリッピン戦線でも)、何でだろう?
 飢えた事が無いからか?降伏が許されて居たからか?信仰上の事だろうか?多分信仰上なのだろうが、降伏を許されない部隊の事情はご存知無いだろうし、自分のサイズで解釈するのは、まあ、当然だ。
 あらゆる方法でイエローモンキーを虐殺(戦争だから、当然)しても、自分の仲間が食われるのは嫌なんだ。
 (雪山の喫茶店 その三へ続く)

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

海外派兵するけど 食料は現地で調達(強奪)しろ、という当時の陸軍のやりかたは、そもそも初めから間違っていたとしか思えません。
激戦地だったフィリピン レイテ島に1988年から3年間 家族で赴任しましたが、戦争中 食料を 日本兵に奪われ飢えた現地の人々の怒りは 何十年たっても忘れられていませんでした。

kenzaburou さんのコメント...

全く仰る通りです。

とんでもない野蛮人だと判断されても、其の通りです、としか言えません。