2012年11月11日日曜日

休題 その九十八




 たまに、我が朋友達の話が出る。残念な事に、山に縁の無い諸君なので、一応山のブログで有る「たんとも」に出場の機会は、極めて少なくなるのは、仕方無い事だ。
 あたしは朋友達を友人だと思って居る(朋友って友人の事だって?そうだよね)。あっちはどう思って居るかは、聞いた事が無いので、知らない。(あたしの勝手な思い込みだと言う可能性も、うんと残る)
 ま、此処は一つ、皆が友人だと思って居るとして貰いましょう。
 で、何を言いたいのかってえと、友人の定義なのだ。ご承知の方が多いだろうけど、知らない人も居るかも知れないので、頼まれもしないのに語りましょう。
 山本夏彦氏曰く「友の様なもの」。詰まり、自分に益になれば友、さもなくば関係無い人、良くても、関係無い知り合い。殆んどが其れだと、氏はのたまわって居る。
 では、本当の友とは何か。氏は明白に答えて居る。恩を施し恩に着せない。恩を受けて恩に着ない。
 詰まり、おい、お前にああしてやっただろう、と言う様じゃあ友では無い。恐ろしい事に、あの時ああして貰って、脚を向けて眠れません、と思ってもいけないのだ。
 思えば、散々朋友達に恩になったが、恩に着て居ない。定義に沿って居る訳だ、エッン。
 一つ例を上げよう。KJが結婚して一ヵ月後(多分)にあたしも結婚した。あたしはKJに、式場の手配を一切任せっ切りにした。全く同じで良いからさ、と言って。其の件に関しては、一見ヤクザのYNも、後に同じ行動を取った筈だ。
 KJはせっせと式場をセットし、当日はKJのお母さん迄出向いてくれて(KJのお母さんは理容師なのだ)、妻の着付けから化粧迄全般に面倒を見て下さった。
 それでもあたしは、有り難う、手間掛けたなあ、でお仕舞い。
 う~ん、何だか人非人、人でなしの様に自分が思えて来た。何故って、皆さんに恩を受けるのみで、誰かがあたしに恩を受けた例が有るだろか、と考えると、無い様なのだ。
 一寸と拙い、いやうんと拙い。併し此処は確り踏ん張って、定義に忠実に生きよう。幾ら恩になっても良いのだ、其れが友だ!!
 え、お前なんぞとは死んでも友になんざなりたくないって?全くご尤もです!

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

一生で一番大事な結婚式、一生でたった一回しかない その機会を 全部まかせられるような 良いお友達が 何人も居られて、幸せですね。すっかり任せるなんて、なかなかできないことです!

kenzaburou さんのコメント...

詰まり、そのォ、あたしがそれだけ好い加減って部分も有るのです。
確かに、友人には凄く恵まれていますが。