2009年9月8日火曜日

ハエの話? その三

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 トラックが列になって通る埃(セメントのです)っぽい道が結構長かった。当時から武甲山は削られ続けていた訳だ。武甲山殿、痛かったですか?(山にそんな事を聞く奴は変だと思うのは当然です。でも、私は聞きたいんだ!)
 登山道は未だ自然の残る気持ちの良い路だった。いけないのは頂上。我々零細山岳会のメンバーが弁当を広げようとしても、ハエが唸りを立てて襲い掛かって来る。あえて括弧なしで言うが、そんな感じの凄ざまじさだったのだ。
 我々はハエから必死に弁当を守りながら昼食を取った。中には一人や二人は、ハエも食べたメンバーもいただろう。それは多分、NとかKとか……。
 IやTは意外と繊細なので、多分ハエは食べないだろうと思う。Sも思いの外清潔だし、女性達も食べそうにないし……。いけねえ、変な話で引っ張っちまった。こうなりゃあ言い切ろう、ハエを食べてしまったのは、NとKだ。(多分)
 ハエの章ではなかった。でも、もう一寸と付き合って下さい。もうハエの話ではないので。
 その武甲山が、入山禁止になる時、Kが武甲山に行こうと言って来た。
K「おう、もう登れなくなるんだ、行こう!」
私「え?何時」
K「知らないのか、明後日だ」
私「え」
K「明日の夜発つぞ」
 Kは武甲山が好きなのだろう。私も好きではあるが、あえてあんな遠く迄行きたくはない。根が不精だし、ハエの印象も有るし、僻んだ記憶もあるし(執念深い?改めます!)。
 その上当時は西武鉄道で直行できなかったのだ。JR(当時の国鉄、分かってるって?失礼!)で熊谷あたり(だったけ?)で乗り換えて、やっと秩父に着けたのだ。遠い遠い秩父だったのだ。従って武甲山に登るのというのは一仕事だった。
 でも行きました、夜行列車で。だって武甲山とのお別れなのだから。行って良かった。お別れに来る人でごった返していたが、最後の武甲山に登れた訳だ。その上季節が違うのでハエはいなかった。ハエは置いておいて、Kよ、誘ってくれて有難う。
 話が飛ぶ事飛ぶ事ハエが飛ぶ。はい南山の仏果山でした。ふざけていないで纏めに入りましょう。
 仏果山近辺は登山道も完備され、たいしたアルバイトも無く山歩きが楽しめる様になった。目出度い。新緑が鮮やかだから、秋も綺麗に色づく事だろう。所々急な路も有るが、其処は気をつけて下さい。宮ヶ瀬湖の展望台として、絶好の山であると共に、丹沢主脈と三ツ峰を、見慣れない角度から楽しめるのです。

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